『幸せに値札をつけるなら』
わたしは商人としてこの世界を生きてきた。
生れ落ちてからの時間の大半を、首都の通りにしゃがんで商売をすることに費やしてきた。
いわゆる転売商人である。
百k前後の小額レアからM単位のカードまで、幅広く取り扱っている。毎日、「買取」の看板を掲げて、
持ち込まれてくる品物に価格をつけていく。そのうちの八割は買取り、二割は拒否したりされたりする。
売手側から拒否される場合の理由は「その価格では売れません」がほとんどだ。
買手であるわたしから拒否するのは、一般的でないカードを挿された武具など、
売り捌くの困難な品を持ち込まれたときだったり、売り上げを期待できないような価格で買い取れと言われた場合だ。
毎日毎日、品物に値段をつけては売り捌く。レアを買取って売り払い、その売上でまたレアを買取る……。
労力を惜しまず繰りかえした結果、わたしの手元には数十Mというゼニーがあった。
不思議なくらい達成感がない。品物に価格をつけるという行為は、存在をゼニーに換金すること――。
その行為のなかでわたしが見るのは、「レア」という概念の記号だけ。
突き詰めていけばゼロとイチの羅列でしかないものを、ゼロからキュウまでの数値に並び替えるということ。
わたしという存在がデータの山に埋もれた計算機にすぎないことに、もうなんの感情を持つこともなかった。
そんな葛藤や疑念は、とっくの昔に売り払っていた。
「――あの、いいかな?」
取りとめのない思索は、掛けられた声に遮られる。
声のした方を振りかえると、立っていたのはひとりの男性だった。出装から、ローグを生業としている者だとわかった。
「はい、いいですよ。どんな品物でもけっこうです。査定だけでもかまいません」
わたしはいつもの営業台詞を、そういうプログラムのロボットみたいに口にする。
「ええと、これなんだけど……」
そう言ってローグが私のまえに差し出したのは、わたしの予想を裏切るものだった。
騎士の装備一式だった。すべて過剰精錬されていて、スロットはすべて埋まっていた。
「これは……ちょっとお安くなるかもしれませんが、いいでしょうか」
わたしは品を見定めて、内心で落胆した。騎士の装備は単価が高いので、買取の値段を見誤りさえしなければ、
けっこうな儲けを期待できる――だが、ローグの手にした品々にはどれもカードが挿してあった。
ブーツやマントはまだ売れそうなカードが挿してあったが、剣はどうしたところで安くしか売れそうになかった。
ローグは首を左右に振る。
「いや、そうじゃなくて……ええと、ちょっと長い話になるけど、かまわないかな?」
「はい、いいですよ」
男の言葉を疑問に思うまえに、わたしの口は営業用の言葉で安請け合いしていた。
「しまった」と思いつつも、ここで男の話を遮って誹謗中傷を流されては商売に影響するかもしれない――。
しかたなく、わたしは男の言葉のつづきを待つことにした。
ローグはしどろもどろに話しだす。
「どこから話すべきかな、ええと――この装備、おれのじゃないんだ」
見ればわかりますよ、と言いそうになってわたしは小さく咳払い。
頷くことで、早く話せと促す。
「それでだな、あの――おれ、ちょっとムシャクシャすることがあって、気晴らしに散歩していたんだ」
そのローグは苛立ちを持て余して、首都の外れをぶらぶらと歩いてた。
どうにかしたいのだが、どうしようもなくてイライラする――そんな感情が、彼を大通りの喧騒から遠ざけたのだった。
ふと、ローグの耳に魔物の咆哮がきこえてきた。何事かと思って音のする方へと近づいていくと、
人気のない街の片隅で魔物が暴れていた。ローグが近づくにつれ、魔物の唸りにまざって、剣が肉を断ち切る小気味よい音や、
神聖な祈りが空気を振るわせる澄んだ音色が耳に届くようになった。
どうやら、だれかが魔物の群れと戦っているらしい。
(こんなところに魔物がでているとは……さては古木の枝を折ったんだな)
そう思い至ると、どんな奴らが街中に魔物を呼びだすなんて危険な遊戯をしているんだろうか、という興味が沸いた。
ローグはトンネルドライブで姿を隠し、戦っている奴らへと接近することにした。
このとき、一歩間違えれば惨事につながることをしていた連中の名前を暴いて、
しかるべき場所で腹立ちまぎれに罵ってやろうという誉められない算段があったことを、彼は否定しない。
ローグが近づいた頃には、戦闘もあらかた終わっていた――折った枝の本数は、おそらく十に満たない本数だったのだろう。
戦っていたのは騎士の男性と司祭の女性だった。最後の一体を屠ったふたりは、隣りあって腰を下ろす。
まずさきに口を開いたのは、女性司祭のほうだった。
「ああ、楽しかった――わたし、街中で枝を折ったのなんて初めてだよ」
男性騎士も笑って頷く。
「俺もだよ」
「こんなに楽しいんだったら、もっとやってみたかったかも……最後に色々できたよかったわ」
「そうか、よかった――じゃあ、これからも頑張ってな。あと、元気で」
男は間を空けることなく、そう言う。
女も笑みを絶やさない。
「うん。あなたも元気でね」
――身を隠したまま、この会話を聞いていたローグには状況がぴんときた。
どうやら、司祭の女性がこの世界から旅立っていく最後の日、最後のときに、これまでは周りを気にして実践できずにいたことをしていたところだったらしい。
察するに、ふたりきり静かな場所でひっそりと抱き合って最後を迎えるような関係ではなかったのだろう。
最後の夜だというのに、そのふたりは、さっぱりとした顔で笑いあっていた。
女が立ち上がる。
「それじゃあ、もう行くわね。さようなら」
「さよなら」
男は手を振る。女もぱっと手を振る――それで終わり。
男の隣に、女はもういなかった。
ローグの抱えていた苛立ちは、いつの間にか消えていた。
いま思うことは、姿を現すタイミングをすっかり失ってしまったということだけ。
ハイディングの効果時間が過ぎてしまうまえに立ち去ろうと動きかけたとき、それまで黙っていた騎士がちいさく口ずさんだ。
それは、何でもないようなことが幸だったと歌う、一昔前の流行歌だった。
騎士はたったそれだけを口にして、また沈黙する――そして、身につけていた鎧や兜を脱ぎはじめた。
次々と地面に投げ捨てられていく装備品。
ローグにはそれらの価値を一目で見抜くような知識はなかったが、けして安くないだろうことは理解できた。
身に付けていたすべてを捨てると、騎士はそっと目を閉じる。
「ありがとう」
もうだれもいない隣の空間にそう言いのこして、彼もまた消えた。
ローグはその場を動けなかった。
その姿はとっくに現れていたが、そこにはもう、彼ひとりしか存在していない。
ただひとり、主を失った装備一式がゼロとイチの羅列に還元されていくのを見守って――、
「………」
――できなかった。
ローグは騎士の捨ていった品々が消え去る寸前、それらを拾い集めた。
彼にはだいぶ重かったが、気にならなかった。どうしても確かめたいことがあった。
彼の足は自然と、買取り商人の集まる界隈へと向かっていた。
「つまり、ただで拾ったものだから、安くてもかまわない、と?」
本当に長かったローグの話を聞き終えて、わたしは話の要点だけを掻い摘んで問うた。
「いや、そうじゃなくて」
どうやら違ったらしい。じゃあ……と、わたしは言いなおす。
「涙を誘う曰くつきの品物だから、高く買ってほしい、ですか」
「そうでもなくて――ああもう! あんたはいままで色んな物に値段をつけてきたんだろ? だったらさ、あの騎士がこの装備一式にいくらの値段をつけていたのかも当てられるだろ」
「え……」
大いに予想外だった言葉に、わたしは面食らってしまう。たじろぐわたしに、ローグが詰め寄る。
「なあ、教えてほしいんだ。あの騎士にとって、捨てられたこいつらにどれだけの価値があったのか
を」
「え、え……あ、はい……」
ローグの勢いに気圧され、わたしはつい頷いてしまった。
いまさら断るという考えも浮かばず、わたしは騎士装備の一式を手にとり、あらためて査定をはじめた。
――わからなかった。
わたしがこれらの品を買取るとしたら、いくら出すか――それならすぐに計算できた。
けれど、ローグが求めている答えは見つけられなかった。
なぜなら、わたしはわたしであって、彼の話にでてくる騎士ではないからだ。
騎士などという大雑把な輩が、わたしのように緻密な計算のもとで物の価値を定めているとはおもえない。
「………」
自分の思考が、意識の網に引っかかった。
そうか――ならば考えなければいい。
普段のように精錬の度合いや市場の供給バランスなんかを考えずに、ぱっと決めてしまえばいい。
わたしは筆を取ってローグの話を思いかえし、直感のまま、手の動くまま筆を走らせた。
受領書の金額欄に、たちまちゼロが並んでいく。
頭のなかを、いまさっき話を聞いただけの男女が動きまわる。勝手にイメージが膨らんでいく。
筆がさらさらと走る。
受領書に目を落とすと、一直線に並んだゼロの列が金額欄をはみだしていた。
「……わかりました」
ああそうか。わたしは笑った。
「その騎士さんにとって、これらの品に価値なんてなかったんだとおもいます」
「騎士さんにとってこの装備たちは、“司祭さんとこの世界を生きていく”という行為そのものだったんです――その相手がいなくなってしまえばもう、“想い出の品”というデータに過ぎません」
口を閉じてしまえば消え失せてしまうだろう言葉を、わたしは必死に手繰る。
「データになら、いくらだって値段をつけれます。だけど形のない行為そのもの――ゼロもイチもないものに、値段のつけようがありません」
「司祭さんがいなくなった後もこの装備を持ちつづけるということは、それまでの行為に値段をつけるようなこと――意味がないんです。だから、騎士さんは装備を投げ捨てたのだし、自分自身もまた同じように消してしまったんです」
自分の話す言葉の意味もよくわからずに、沸きあがるままに舌を動かしつづけた。
それでも、話しつづけるうちに、この思いはわたしのなかで憶測でも推測でもなく、確信となっていた。
黙って聞いていたローグは、わたし自身にとっても難解な言葉の意味を飲み込んでいくように、数度ゆっくりと頷く。
「ありがとう。きっと全部はわかってないとおもうけど、ちょっとはわかったような気がする。これはもう、その場に居合わせたおれにとっても価値のないものなんだな――長々と付き合わせちまったお詫びに、あんたにやるよ」
差しだされた品物を、わたしは拒む。
「いいえ、それはできません。すこしでも騎士さんの事情を知って考えてしまった以上、もうこれを商品として扱うことができそうにありません。ローグさんがどこかに捨ててきてくださるのが一番いいとおもいます」
「ん……そう、だな。うん、そうしよう」
ローグは頷いてから、小さく片手をあげる。
「じゃあ、おれ、行くわ。長々とすまなかったな」
「いえ――では」
わたしも一度だけ手を振ってローグを見送った。
それからすこしだけ考えて、わたしは「買取」の看板を下ろす。
一度でも余計なことを考えてしまった以上、当分の間はまともに査定することができないだろう。
ゼロのびっしりと並んだ受領書を見つめて苦笑する。
ただのゼロではなく、値札からはみだしてどこまでもつづくゼロ。
どうせ一ヶ月もしたら、いまのこんな気持ちなんて消え失せてしまうに決まっている。
それまで、久しぶりに外の世界を歩いてまわるのもいいだろう。これでもわたしだって年頃の娘なのだから、素敵な出逢いのひとつでも待ちかまえているかもしれない。
「――ふふっ」
出逢うだろう素敵な相手の顔が思いうかばなくて、笑ってしまった。
ローグはもう苛立ちもムシャクシャもイライラも感じていなかった。
自分がどうするべきかを見つけだしたら、こんなにも心が晴れた。
明日相方に、しばらく会えなくなることを話そうとおもう――もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない、ということを。
そしてきっと、最後の日の最後の瞬間に、なにを残していくこともなく消え去るだろう。
いま以上に残したい物も、伝えたい言葉もない――ふたりが望むことはもうとっくに、ふたりで経験しているのだから。