『B×R 2』

 鍛冶師(ブラックスミス)の振り下ろした鎚は、赤く焼けた鉄に当たって火花を散らせ――皹(ひび)をいれてしまう。
「……くそ、今日は日が悪い」
 立てつづけの精錬失敗に、たださえ険しい容貌に苛立ちを顕わにする。
 一度でも皹がはいってしまえば、もうそれは使えない鉄屑に成り下がってしまう。だがそれは、皹のはいった鉄が悪いのではない――皹をいれるような打ち方をした鍛冶師が悪いのだ。鉄はいつだって、じりじり焼ける音で、いまどこを叩けば自分が強くしなやかな鋼に生まれ変われるのかを鍛冶師に訴えかけている。それを聞き逃すものに、良い武器を造れなどしない。
 明鏡止水――波ひとつ立たない湖面のような心であればこそ、鉄と炎の声を聞くことができる。それができないのは……、
「雑念があるから……か」
 言葉とともに深い溜息を吐きだす。心に細波を立てさせる雑念がなにかは、考えるまでもないことだった。
 ――床に落とすことのどこが悪い? 悪気がないとわかっていてなぜ、おれは突っかかった? あいつが他人(ひと)さまの手から掠めてきたとでも思ったのか、おれは――?
 ひとりで煩悶していても、苛立ちはますます募るばかり。
 あの日、追い出すようにな形になってしまった侠盗の顔が、脳裏をちらついては細波を立てるのだ。
「――くそ!」
 ばしんっ、と拳を掌に打ちつけ、鍛冶師は水差しの水を頭から浴びる。濡れた髪や顔をよれよれのタオルでざっと拭うと、新しい熔炉に火をいれるべく立ち上がった。

 休日の夜は人込みでごったがえすギルド砦周辺も、平日の夕暮れはしんと静まりかえっている。城壁越しに今日最後の日差しを投げかける太陽が、噴水をきらきらと彩る。
「おれ、なにやってるんだろうな……?」
 侠盗(ローグ)はベンチに腰を下ろして、茜色にきらめく噴水を視界に端に映しながら呟く――当然、答えなどかえってこない。
 あの日以来、侠盗の足は鍛冶師の工房から遠のいたままだ。鉱石を“即金が必要でしかたなく”売るという名目を拒否されては、工房に出向くための理由がない。
 理由がなければ、わざわざ行く必要もない――だからここ最近は持て余した時間を、こうして噴水を眺めることに費やしているのだった。
 侠盗はいつの間にか俯いて、茜に染まる下草を見つめていた。
 ふいに視界が陰った。
「―――!」
 侠盗は“はっ”と顔を上げる。
 正面に立たれるまで気がつかなかったことに内心で舌打ちする。陰る視界に目を細めたのも束の間、訓練された両目はすぐに人影がだれであるかを捉える。
 立っていたのは鍛冶師だった。
「こんなところにいたのか――探したぞ」
「……なんだよ、なにか用か?」
 痞(つか)えかけた喉をごまかし、侠盗はぶっきらぼうに吐き捨てる。
「………」
 鍛冶師はこたえない。いつもどおりに愛想のない表情で侠盗をじっと見据えている。そのまっすぐな視線に、侠盗の心臓が、どくん、と跳ねる。それを自覚してしまうと黙っていられず、考えるよりもさきに言葉が口をつく。
「おい、黙ってないでなんとか言え――」
「――手をだせ」
 鍛冶師の唐突な、だが静かな言葉が侠盗の口を噤ませる。
 侠盗は言葉なく、「は?」と間抜けな顔をしてしまう。
「いいから、手をだせ」
 鍛冶師は眉間の皺をさらに深めて、もう一度同じことを催促。
「わ、わかったよ。そんなに怒鳴るなって……」
 べつに鍛冶師が声を荒げたわけではなかったが、いつになく険しい面持ちに気圧されて侠盗は片手をまえに差しだす――短剣を振るうためだけでなく、砂を撒き散らしたり地面を深く抉るためにも使われる手はまるで、角質で覆われているような無骨さだ。
 きれいか汚いか、と問われたら、十人中十人が「汚い」とこたえるだろう手。けれども、侠盗にとってこの手は誇りだ。薄黒い汚れが沈着した指先は、弱者から掠め取るという道を選ばなかったことの証なのだから。
 ――その手に、一振りの短剣が手渡される。
「まえに言っていただろう、火の鋼短剣(ファイア・ダマスカス)を打ってほしいと。材料が余っていたからな……早く受け取れ」
「え、あ――ああ……」
 手の平に乗せられた短剣を呆然と眺めていた侠盗は、なかば反射的に柄を握りしめて短剣を引き寄せる。それからようやく、手にしたばかりの短剣がけして安いものでないことに気がつく。
「おれは、あんたに精錬の報酬を払えるほど裕福な暮らしじゃねえんだけどな」
 鍛冶師の意図を測りかねて、困惑と警戒の入り混じった目をする侠盗。その反応は予期したものだったのか、鍛冶師は首を横にふる。
「べつに金は要らん。短剣を打ってやると約束していたことを思い出したから打っただけだ」
 この言葉に、侠盗の表情は苛立ちへと変わる。
「――払うよ。あんたに貸しをつくる気はない」
「要らんと言っているだろ――ああ、そうだ」
 仏頂面で侠盗の言葉を突っぱねてから、鍛冶師はふと思い出したように呟やき――二の句を継ぐ。
「そうだった――短剣(そいつ)を打つために、依頼用の神青金属を使ってしまったんだ。だから代金はオリデオコン四つ、払ってもらおうか」
 微笑をふくんだ言い方の鍛冶師を、侠盗は半眼でじとりと睨む。
「……おい、余った材料でつくったんじゃないのかよ」
「神青金属だけ余っていなかったんだよ。いいから払え」
 鍛冶師は手を差し出す。
 高熱にさらされながら鎚を振るいつづけて火傷と治癒を繰り返してきた鍛冶師の手は、手袋(グローブ)のごとく分厚い――この節くれだった手が艶かしい流線を描く刃を生み出したとは、にわかに信じがたいほどだ。
「最初(はな)から素直に受け取っとけってんだよ。しょうがねえな」
 侠盗は“しかたなく”といった素振りで金属塊を取り出し、鍛冶師に手渡す。
「ああ、そうだ――」
 鍛冶師はまたふと呟いて、唇の片端をかすかに“つ”と持ち上げる。
「おれに貸しをつくりたくないと言うのなら、しょうがない。面倒くさいんだが、支払わせてやるか」
「はぁ? 今さらなに言ってやが――」
「話はまだだ。黙って聞け」
 吠えついてくる侠盗を片手で制して、鍛冶師はつづける
「なにも、いますぐ金を払えと言っているんじゃない――材料に使った鉱石、少しずつでいいから返しにこい。買い取ってやるから」
「え、それって……」
 今までと同じじゃないか――言葉の後半が声にならなかったのは、口をぽかんと開けて鍛冶師をまじまじ見つめてしまったからが理由のひとつ。もうひとつの理由は、
「ん……まあ、なんだ――たまに顔ぐらい見せにこい」
 ――取って付けたようにそう告げる鍛冶師の横顔が、夕焼け色の風景のなかでうっすら紅く染まっていたからだった。
「もう日も暮れる。おれは帰るぞ」
 鍛冶師はさっと顔色を隠すように背を向けて歩きだす。
「……おれも帰るかね」
 侠盗はふっと肩をすくめて立ち上がり、その後を追うように最初の一歩を踏み出す。……あれが夕焼けのせいだったのか照れていたからなのかは、じっくりと見極めればいい。
 ふたりの時間はまだ、ゆっくりと流れているのだから。



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