『B×R』

 工房は熱気に満ちていた。鍛冶師(ブラックスミス)はその熱の発生源――熔炉のまえに膝をついて鎚を振るっていた。
 鍛冶師の太い腕が振り下ろされるたび、全身に纏わる汗が飛び散り、鎚を打ち付けられた鉱石が火花を散らす。額から落ちる汗を左手の甲で拭い、鍛冶師は一心に鎚を振るって鋼を鍛える。
 それは熱と鉄をもちいて、鉄屑に命を与える行為だ。
 ただ力のみで鎚を打ちつけるのでは、鉄は鋼へと生まれ変わるまえに割れてしまう。熱を恐れては、鍛冶師の意志は硬い鉄の奥まで届か
ない。肉体の力、すなわち腕力や後背筋だけでなく、灼熱した鉄の必要な箇所に必要な角度とタイミングで鎚を打ち当てる技量――それらを、鎚を振るう一瞬一瞬に込めることで初めて、鉄の寄せ集めだったものを硬く折れない鋼へと生まれ変わらせることができるのだ。
 だから鋼の精錬――鍛冶師にとっての毎日は、闘いの連続である。
「――ふう……よし、上出来だ」
 満足のゆく鋼をひとつ鍛えあげ、ようやく鍛冶師の険しかった顔が笑みにほころぶ。熱気覚めやらぬ工房で、鍛冶師は傍らの水差しから
冷水――だった微温湯――をごくり、と喉を鳴らして飲み干す。一時の休息だった。
 ――と、茹った工房に涼風が流れこむ。
「よお、いるかぁ? って、アッチィなぁ、相変わらず」
 ノックもなしに戸を開けて入ってきたのは、侠盗(ローグ)だった。
「なんだ……誰かと思えば、おまえか」
 汗を拭いながら鍛冶師は言う。その言葉には、顔馴染みの相手に向けるような気安さと――硬さが綯い交ぜになっていた。
「客じゃなくて悪かったな――おれは、あんたに依頼できるほどの稼ぎじゃないもんでね」
 こたえる侠盗の声にも、鍛冶師のものと同質の感情が見え隠れしている。もっとも、鍛冶師はそれを押し隠すような声音だったのに対し、侠盗の声はあからさまだったが。
「稼ぎが少ないと言うのなら、博打になど手をださないことだな」
「ばか言えってんだ。おれの青箱が博打だってんなら、あんたの精錬だって似たようなもんだろ――依頼人が持ってきた鋼やら星の欠片やら高価なものを注ぎ込んだ挙句にぶっ壊して、それで金を貰えるんだからオイシイ博打だけどなぁ」
 開いたままの戸に寄りかかって、せせら笑う侠盗。
「……わざわざ、そんなことを言いにきたのか?」
 鍛冶師の声は重く、睨みつける眼光は険しい。だが侠盗は、それを大仰な手振りで怖がってみせるばかりだ。
「おお、怖い怖い――ま、おれ様もわざわざあんたをからかいにくるほど暇じゃねえよ。……ほれ、こいつ、買ってくれよ。さっき賭けし
たら負けちまってよ、ちょいと即金が要るんだわ」
 クリアサ相手にアイスの早食いなんて挑むじゃなかったぜ――と、侠盗はけらけら笑う。その手からごとっと放り投げられたのは、数個の神青金属(オリデオコン)だった。
 鍛冶師は黙って、床に投げ捨てられた神青金属を見つめる。その表情は相変わらず険しいままだ。
「一個10kとして……まあ40kってところか。ほれ早く取引要――」
「断る」
 鍛冶師の言葉に、手をだして催促していた侠盗は大げさに目を丸くする。
「はあぁ? ……なんだよ、それ。おれからは買えないってのか?」
「……まあ、そういうことだ。当面、鉄鉱石は足りている――なにより、床に投げ捨てたおまえの根性が気に食わん」
「なんだよ、それ。地面に投げて渡すほうが手っ取り早いじゃねえか。……それとも、侠盗なんてクズが持ってきたものは買うに値しない――遠まわしにそう言ってんのか?」
 暑いはずの工房が、外から流れこむ涼風のせいではなく冷えこむ。その原因は、侠盗の表情から芝居がかった笑みが引いていったからだ
ろう。
「誰も、そうは言ってないだろ。それともなにか? そういう意味に受けってしまうような疚しいことをしたのか、おまえは」
 鍛冶師も退かない。鉄をも熔かす炎と日々闘っている男が、そう簡単に怯みなどしない。
 熱と冷気、毒塗りの刃と錬鉄の鎚――交錯する視線に、空気が軋む。通りの喧騒が遠ざかる。
 まさに一触即発――その強張った空気が溶けたのは、侠盗が視線を外して「お手上げ」のポーズを取ったからだった。
「はっ! いいさ、他の鍛冶屋に持っていくよ。おまえだけが鍛冶屋じゃねえんだからよ!」
 投げ置いたオリデオコンを拾いあげると、捨て台詞を残して侠盗は去っていく。戸が大きな音をたてて締められた。


 初めて会ったのはプロンテラ城の二階、看護将校の前でだった。
 おれもあんたも初心者で、初めての会話に戸惑いながら、お互いの夢について語ったことを憶えている。

  おれは鍛冶師になって、世界に唯一つの武器を造りたいんだ。
  ……おれは、まだ決めてない。もうすこし迷ってみるつもりだ。

 ――あのとき夢を語れなかったおれは、武器の材料を山ほど集めて、あんたの武器が世界一になるための手伝いをしよう――そう決めたんだ。だから、ローグって道を選んだ。
 ただ鉱石を渡したかっただけなのに……それができなかった。汗だくのあんたが、なぜだか、まっすぐに見れなかった。
 おれだって、手渡したかったよ! 気づけよ、ばか。
「……ばかは、おれか」
 侠盗は、閑散としたギルド砦の片隅で座りこんでいる自分に苦笑してしまう。
 手にした金属塊はすこし重くて、まだ立ち上がれそうにない。



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