くろすけの鳴く頃に 〜五月隠し編

 昭和三十三年初夏。
 まだ田植えも終わらぬ頃、村はずれの朽ちた一軒家に、一組の家族が引っ越してくる。
 場所は××県所沢市。県境にある寒村、塚森村。

 惨劇はもう終わっている。


 始まりは、江戸後期から明治初期のだと推測されている。
 草壁家の頭首は鬼塚に住まう鬼と契約して、一代にして巨万の富を築く。鬼との契約は彼一人の栄華に留まらず、草壁家の末代に渡って隆盛を約束するものだった。
 鬼は草壁家に繁栄をもたらす。草壁家は鬼の住まう塚を守る。それがゆえに、草壁家の屋敷が建っていた村はいつしか「塚守村」と呼ばれるようになった。
 草壁家が繁栄の代償として鬼が求めたのは、塚を守ることだけではなかった。十年に一度、その十年前に生まれた子供を生贄として捧げることも鬼との約束だった。
 十年に一度訪れる生贄の年――その年に生まれた子供は、次に訪れる生贄の年、鬼に差し出される子供である。
 しかし、時代の変遷と戦争によって、草壁家が守らなくてはならない“しきたり”は忘れ去られ、戦後になって「塚守村」が「塚森村」と改名された頃にはもう、生贄のしきたりを失くしてしまった草壁家はかつての栄華を裏返したように零落れていた。

 都会で細々と暮らしていた草壁家の現頭首、草壁タツオは、自分の家にかつて伝わっていた儀式と鬼のことを知る。かつての栄華を取り戻さんとした彼は、当時十一歳だった娘サツキを連れて、村外れで打ち捨てられたままになっていた屋敷へと戻る。
 彼はサツキに、「おまえはまだ九歳、小学四年生だ」と言いきかせ、村人たちにもそう公言していた。これは、生贄の儀式が本来ならば十歳のときに行われるためだ。
「この子はまだ十歳になっていない」
 と、鬼を騙そうとしての行為だった。

 かつてはこの近隣で知らぬ者のない大富豪だった草壁家も、いまでは覚えている村人のほうが少ない。
 四十代以下の村人は影も知らず、五十代以上の村人でも「そういえば昔……」と思い出す程度だった。
 しかし一部の老人たちは草壁家のことを今でもはっきりと覚えていた。その一人である老婆は、孫の勘太をサツキに近づかせて、タツオが今頃になって村に戻ってきた理由を確かめようとする。
 タツオの目的が草壁家再興であり、そのために鬼塚の鬼へサツキを捧げようとしている確信した勘太の祖母は、草壁家のことを覚えている村の老人連中と協調してサツキをタツオの元から逃がそうとする。
「サツキちゃんはお母さんの病院に行こうとして迷子になり、沼に落ちたんだ」
 という筋書きを書き、沼にサツキのサンダルを投げ入れてから、それを村の青年団に発見させる。タツオには、サツキが死んだ、と思わせておいて、その間にサツキを彼の手が届かないところまで逃がしてしまう予定だった。
 老人たちはサツキが九歳だと思い込んでいたから、「十歳をすぎれば、もう生贄にはできない。一年と少し隠せばいい」と考えていた。
 しかしサツキは、まるで何者かに手引きされたかのようにして隠れ家から逃げ出してしまう。
 それから十日後、野良猫が咥えていた人間の指を子供が見つけたことから青年団による山の捜索が行われ、サツキの遺体が発見される。
 山中に一週間以上放置されていたサツキの遺体は、野良猫や鳥獣に食い荒らされて、正視に堪えない状態だったという。
 遺書の類はなく、サツキがどうやって、また、どうして隠れ家を抜け出して山中に踏み入ったのかについては不明のままだ。
 しかしサツキは生前、何度か謎の言葉を呟いていたという証言が残されている。以下にその幾つかを抜粋する。
「家には、くろいものが住んでいる」
「お母さんが死んじゃったらどうしよう」
「トトロは本当にいるの。嘘じゃないもん」

 警察は、サツキが「トトロ」と呼んでいた人物を捜索したが、ついに見つからなかった。また、勘太の祖母をはじめとする老人連中は、「サツキちゃんはトトロさまに食われたのだ」と信じた。これは塚森村に古くから伝わるトトロ伝説と関係があると思われる。
 なお、サツキが行方不明になった二日後、草壁タツオが自宅の梁で首を吊って死んでいるの発見される。検死の結果、サツキが行方不明になった直後、自殺したものと推定された。遺書は残されていない。
 同氏は一説によると、トトロ伝説に語られる塚守の家系だとも言われており、サツキの失踪および死亡との関連性が疑われたが、捜査はなんの進展も見せないまま、昭和三十五年、捜査は事実上、打ち切られる。

 事件から十九年後、祖母の葬儀のために都会から村へ帰ってきた勘太は通夜の席で、当時、事件の捜査に当たっていた元警察官と話す機会を得る。
 彼はサツキの遺体を検死した医者と話したときのことを克明に記憶していて、酒を大分飲んでいたことも相まって、そのときのことを勘太に話した。
 サツキを検死した医者によれば、彼女の遺体は大きく欠損していたのだという。最初は獣に食われたのなら当然と思われたが、遺体に残された歯形や生活反応などから、相当大きな獣に生きたまま食われた可能性を医者は指摘していた。
 しかし事件当時でも、塚森村近辺に大型の肉食動物が棲息していたという報告はなく、またその医者の見立てによれば、サツキを食い殺したのは恐竜並みに巨大な獣だという。
 結局、この可能性が本気で考慮されることはないまま捜査は打ち切られたというわけだ。
 しかし勘太の脳裏には、祖母があの事件以後、うわ言のように何度となく言っていた「サツキちゃんはトトロさまに食われたんじゃ」という言葉が、壊れたレコーダーのように繰り返されて止まないのだった。

 すべてはしかし、すでに手遅れ。
 隠されてしまった十九年前の五月は二度と、勘太の手には戻らない。
 くろすけの鳴く頃に惨劇はもう、終わっているのだから。



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