『精霊殺し』

 千の精霊を従え、無敵の魔術を為すその男は、みずからを精霊王と名乗った。精霊王の呼び出した精霊軍は国軍をただ一戦で壊滅させ、揮われた魔術は一日にして王城を攻め滅ぼした。
 精霊王は服従したものたちに魔術を授けて配下とし、またたくまに各地の領主や反抗勢力を平らげて国家を掌中に収めてしまう。精霊王に忠誠を誓ったものは魔術の力を与えられて各地の領主として登用され、傅くことを拒んだものは容赦なく殺された。
 魔術師による恐怖政治――それが精霊王の治世だった。
 魔術の力を笠に着て暴政のかぎりをつくす領主。今日も今日とて、官吏の機嫌を損ねた領民が往来の只中で鞭打ちに処されていた。官吏たちは魔法を使えないが、その後ろには魔法使いの領主がいる。歯向かえば容赦なく殺される。ある者は水をかけても砂をかけても消えない炎で焼かれ、またある者は鼻と口に張りついた水で地上にいながら溺死させられる――いまではもう、逆らうものはいない。人民はただ、理不尽な責苦がみずからに降りかからないことを祈るばかりだった。
 精霊王の治世がはじまって一年、物語は動きだす。

 王都から遠く離れた、人間の侵入をかたくなに拒むシグムント山脈にもっとも近い領地――この土地でもまた、魔術師の暴威が領民を支配していた。
 領主の雇ったならず者の兵士たちを養うために重税を課され、逆らえば容赦なく殺される。街を我が物顔で闊歩する兵士に目をつけられようものなら、ただ泣き寝入りするしかなかった。

 領主ジムゾンの館。およそ不必要な規模の居城は、ただジムゾンの権威を誇示するためだけに建てられたものだ。建設のために狩りだされた領民たちにはなんの恩賞も減税もなく、その季節の税を納めるために娘を人買いに売った者もおおい。そうできた者たちはまだ幸運で、幼子の首を絞めて一家心中した者たちも少なからずいた。
 人血を啜って建てられた館は今日も、ジムゾンの私兵に守られていた。といっても、ジムゾンの館に正面きって乗り込もうというほど無謀な領民はいない。館を守る私兵などいなくとも大差ないのだが、これもやはりジムゾンの虚栄心を満たすためだけに養われている悪漢どだ。彼らのすることといえば、形ばかりの門番と、気晴らしに街中を歩きまわって無銭飲食や暴行をくりかえすことくらいだった。
 しかし、この日は違った。館の門柱に寄りかかって大あくびする門番ふたりの前に、人影が立ち止まったのだった。
「おい、おまえ。なんの用だ? 用がないんなら、さっさと消えろ」
 門番のひとりが恫喝する。が、人影はまったく無視して突っ立ったままだ。フードつきのマントにすっぽりと身を包んだ人影は男ふたりよりも小柄で、背中に革の入れ物に包まれた長い板のようなものを担いでいた。門番たちにその板が剣だと想像できたのは、人影の背中越しにあきらかに両手剣のそれとわかる柄が見えていたからだ。
 しかし、自分たちよりも体格の劣る者がそのような巨大な剣を扱えるはずがない――と考えるのは当然のことだったろう。事実、人影の腰には小剣の鞘が吊られていた。
「……用ならある」
 押し殺したように小さな声だったが、それは若い女の声だった。ふたりの男は下卑た笑いを浮かべる。
「どんな用だ、女。ことと次第によっちゃ、俺たちが領主さまに取り次いでやらんこともないぞ」
「必要ない」
 人影――外套の女は一言吐き捨てると、無造作な歩みで門の奥へ進もうとする。
「あ……おい、女!」
 門番が咄嗟に手を伸ばして外套に包まれた肩を掴もうとして――違和感に気がつく。一拍遅れて、白熱した衝撃が腹から頭のさきへと奔った。女の手に握られた小剣が、男の内臓を貫いていた。はっきりとわかる致命傷だった。
 刺された門番は、叫び声をあげようとした顔のままで絶命し、引き抜かれた剣を追うようにして倒れ伏す。そこでようやく状況を飲み込むことができたもうひとりの門番が剣を抜いた。
「女、きさま! おれらに歯向かうってことがどういう意味か、わかってるんだろうな!?」
「………」
 外套の女は答えなかった。答えるかわりに、風に吹かれる枯葉のような踏み込みで間合いを埋める――その流れのままに突き出された剣先が、剣を構えたまま一歩も動けなかった門番の喉許を刺し貫いていた。
 ひゅうひゅう、と声にならない声と血塊を吐いて男は倒れる。
 外套の女は血塗れた剣を男たちの衣服で拭ってまた鞘へと戻し、一度も息を乱さぬまま館に踏み入った。

 領主ザムゾンが治めるのは辺境の領地だ。
 王都からもっとも遠い土地であり、その国境には未踏のシグムント山脈がまたがっている。外交上の重要性は低い、まさに辺境の地だったが、それは裏を返せば、王都の支配が薄いということ――領主ザムゾンが意のままに支配できる領地ということだった。
 その支配の象徴ともいえる豪奢な館でいま、人間の姿をした暴風が荒れ狂っていた。
 背に大剣を担いだマント姿の侵入者が、小剣を縦横に振るって行く手を阻む兵士たちを斬り捨てていく。廊下や戸口の狭い空間を上手くつかって囲まれないように立ちまわり、剣先を相手の喉許や手首に引っ掛けるような最小の動きで戦闘不能にしていく。女剣士の顔を隠していたフードはすでに脱げていて、短く切り詰められた老婆のような白髪と、戦いへの昂揚もなにも感じさせない漆黒の瞳を晒している。整った顔立ちは、だが、見るものに畏怖しか与えない――彼女と目が合った住みこみの召使いが「ひぃ!」と悲鳴をあげて気絶した。
 女剣士は襲いかかる兵士たちを淡々と斬り伏せて、領主を探す。階段を上って広間にでると、兵士とも召使いとも違った服装の男が待っていた。
 金糸銀糸を織り込んだ豪華なローブを身につけた小太りの男だ。血色のいい丸々した体型は、この男が淫蕩な日々を過ごしてきたのだろうことを雄弁に語っている。
「ほう……凄腕の侵入者だというからどんな巨漢かとおもえば、女性だったとはな」
 男はお世辞にも上品とは言えない視線で女剣士を値踏みする。
 女剣士は、男の視線を一顧だにもしなかった。
「おまえが領主だな」
 男の手には、先端に魔玉を嵌めこんだ杖が携えられている。それは、この男が魔術師――すなわちこの館の主であることを示していた。
 ザムゾンは器用に片方の眉だけを持ちあげる。
「いかにも、わたしがこの地の領主ザムゾンだ。女、死ぬ前におまえの名も聞いておいてやろう」
「エーリカ……おまえを殺しにきた――!」
 小剣を握りなおして間合いを詰める女剣士エーリカ。それに応じて杖を振り上げ、空中に複雑な印形を描くザムゾン。彼我の距離が剣の間合いまで詰まる前にザムゾンの魔術が完成し、全身に真紅の炎をまとった荷車ほどの巨大な蜥蜴――召喚された火の精霊サラマンダーが顕現した。
 エーリカの突いた小剣は火蜥蜴の燃える皮膚に弾かれる。体勢のくずれたところを狙って吐きだされた炎の息吹は、どうにか横っ飛びにかわした――だが完全には避けきれず、火の粉が乗り移ったマントを脱ぎ捨てる。それと同時に両手を背中にまわし、右手で背負っていた大剣の柄を握り、左手で鞘の留金を外す。
 かちん、と音を立てて鞘の片側が開いて絨毯に落ちる――剣が規格外に大きすぎるため、こうしなければ鞘から抜けないのだ。
「みっともない悪あがきはやめろ――どんな剣だろうと精霊を斬れないことぐらい、知っているだろう?」
 嘲笑うザムゾンの言葉どおり、いわば思念の投影体である精霊を物理的手段で傷つけることはできない。精霊を倒せるのは魔術師の技だけであり、すべての魔術師は精霊王の配下である――だからこそ、魔術師は叛乱を恐れずに暴政を布けるのだ。
 エーリカは鞘の落ちた大剣を両手で握りなおし、前転するかのような勢いで前方に振りぬく。勢いあまった剣先が絨毯を切り裂いて床にめり込む。
「は――! なんだ、その剣は。大方こけ脅しだろうが、まともに扱えないようでは話にならんではないか」
 声高に笑うザムゾンには一瞥すらくれず、エーリカは火精霊に狙いをさだめる。サラマンダーもまた、二又にわかれた炎の舌をちらつかせてエーリカに飛びかかる間合いを計っている。
 エーリカは大剣の切っ先を低く構え、膝をたわめていつでも斬りかかれる体勢をとる。エーリカにとって重過ぎる大剣は、“突く”や“斬り上げる”のように筋力のみをつかう扱い方ができない。その重量を活かして、上から下へと“振り下ろす”か、横に“薙ぐ”かの二通りしか攻め手がない。
 サラマンダーは蜥蜴の姿をしてはいても、その本質は精霊――人間とは異質ながら、高次の知能をもった存在だ。標的の構える大剣が二通りの軌跡しか描かないことを悟ったのだろう、大きく裂けた口から炎の舌をのばして嘲笑う。いや、そもそも物理的手段では傷つかないのだから、みずからに剣を向ける行為自体を嘲笑ったのかもしれない。
「――は!」
 すり足でじりじりと間合いを詰めたエーリカは、鋭い呼気を吐いて床を蹴り、最後の距離を駆ける。それに呼応してサラマンダーが深く息を吸い込む――エーリカの斬撃を無視して、跳びこんできたところに炎の息吹を浴びせるつもりなのだろう。
 エーリカは構わず踏み込む。床を蹴った反動で腰をひねり、肩をぐるんと振りぬく。走ることで得た慣性を遠心力に転じさせ、大剣を左から右へ一気に振りぬく。唸りをあげて空を切り裂く刃が、いままさに必殺の火炎を吹かんとするサラマンダーの頭部を襲い――真一文字に断ち割った。
「な――!」
 驚愕に目を見開くザムゾンの前で、サラマンダーは断末魔すら残すことなく消滅する。
「な……なんだ、おまえは――その剣はなんだ!?」
 無敵の存在であるはずの精霊を倒されてうろたえるザムゾンに、エーリカはただ一言、答えた。
「精霊殺し」
「……精霊殺しだと? そんな――そんな馬鹿なものがあって堪るかあ!!」
 ザムゾンが杖を振り上げると、生みだされた巨大な火炎弾がエーリカを襲う。だが大剣のひと薙ぎで火弾は二つに割られ、「ぽしゅっ」と空気を抜かれたような音をたてて消滅する。
「――っ」
 しかしエーリカもまた体勢を崩していた。大剣を一度振りぬくいただけで、転んでしまわないようにバランスをとるのが精一杯だった。大剣が重すぎるのだ。
 ザムゾンの顔にふたたび勝ち誇った嘲笑が浮かぶ。
「ふ、ふっははは――なにが精霊殺しだ。女、その剣がどのようなものか知らんが、まともに扱えんようであれば棒切れ以下だ。さっさと焼け死ねい!」
 ザムゾンが杖を振るうと、今度は真紅の矢が無数に生まれて、エーリカ目掛けて空中に幾筋もの軌跡を刻む――火矢ひとつひとつの殺傷力は火弾に劣るだろうが、これだけの数を一振りで薙ぎ払うことはできない。剣を振るえば、先ほどのように体勢を崩した瞬間、残りの火矢に焼かれるだろう。すぐには死ななくとも、おなじ攻撃を受けつづければどうなるかは明白だった。
 大剣を構えたまま、エーリカは動かない。ザムゾンが勝利を確信したそのとき、
「死にたくなければ散れえ!!」
 エーリカの怒号が館を震わせた。
 火矢は、エーリカに当たる寸前でみずから消えた――すべての火矢が、消滅した。一度でも殺される恐怖を覚えた精霊たちはもう、ザムゾンの命に従おうとしなかった。
 精霊の力が遠のいたことは、ザムゾンにもすぐにわかった。いま、形容しえない恐怖が、ザムゾンの足から頭までを満たしていた。
「ひ――ぃ……なんだ、なんなんだ、おまえは? 止めろ、来るな……来るなああ」
 精霊王に忠誠を誓って以来はじめて覚えた恐怖に、腰が抜けた。大剣をひきずって近づいてくるエーリカから、両手と尻で床を這いずって必死に逃げようとする。ザムゾンはこの時ほど己の贅肉を憎悪したことはなかった。
 エーリカはわざと緩い歩調で近づき、ザムゾンの顔が恐怖でひきつるのを楽しんでいた。ザムゾンが恐怖に色を失くすほどに、エーリカの顔はこれ以上ないほどの愉悦一色に染められていく。
「た、頼む、殺さないでくれ……そ、そうだ。金だろ、金が欲しんだろ? 幾らでもくれてやるから、な?」
 無理やりひきつった笑いを浮かべるザムゾンに、エーリカも微笑みをかえす。その顔はまるで、蟻の巣に水を流しこんで遊ぶ子供のような微笑みだった。
 エーリカは大剣を無造作に持ち上げて――落とした。それでザムゾンの右膝が割れた。
「ぎゃ――あ、ああ、あああぁぁああ!!」
 ザムゾンの絶叫に、エーリカの笑みはいっそう深まる。
 極上の音楽に鼻歌で応えるかのような気軽さで、大剣を持ち上げては落とす。子供のように泣きじゃくるザムゾンの両膝、両肘を叩き潰し、剣の平で即頭部を殴打する。肩や太腿に刃を食い込ませて鮮血をあふれさせ、四肢をざっくざっくと切り刻む――。
「あは、あははっ――あっはははっ」
 そして狂喜した。エーリカは大口を開けて、腹の底から哄笑した。
「……」
 ザムゾンはすでに泣くことすら忘れている。頭部への打撃と過度の激痛、そして流れすぎた血が、ザムゾンの精神をとうに打ち砕いていた。そこにいるのは、放っておいても遅からず絶命するだろう、血塗れの脱け殻だった。
 遊び飽きたエーリカの一振りが、脱け殻の頭蓋を砕いた。

 魔術師の支配する時代にあって唯一それを脅かす者、精霊殺しの女剣士。
 精霊を狩り、魔術師を殺すことでしか感情を表現できない女、エーリカ――いま、その姿をはるか遠くから見つめる視線があった。いや、その視線はエーリカではなく、彼女が携える大剣を捉えていた。
 ザムゾンの領地から遠く離れた王都――かつては常花の都と美称された街並みは未だ再建の最中にあるなかで、王都の中央にそびえ立って都下を睥睨している王城だけが真新しい。
 その王城に居ながらにして精霊殺しを見つめていた男は、本当に懐かしそうな目をして呟いた。
「精霊殺しか――久しいな」
 かつては大逆の徒にして、いまは玉座の主である男――精霊王と精霊殺しが再会を果たすのは、まだ先のことである。



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