『オカルトパンク!』

 東京都心、摩天楼の最上階。
 スーツに身を固めた男性、二人。傲慢さを隠すことなくスーツから滲ませた男が、表情とスーツの下に感情を押し隠した男に話しかける。
「能代よ、いい眺めだと思わないか?」
「はい、社長」
 窓際に立ち、自分を振り返らずに話し掛けてくる室生に、能代は抑揚を抑えた声で追従する。
「ここから見る東京はまるで、おれに傅いているようだと思わないか……なあ、能代よ?」
「はい、そう思います。社長」
 能代の機械的ともとれる返答に、室生は満足そうに喉奥を笑みに軋ませる。
 悦に入っているその背中を、能代のガラス球のような両眼がじっと見据えている。
「ときに社長。“天使”というものをご存知でしょうか」
 脈絡のない問いに、室生は訝しげな顔を振り向かせる。
「処女懐妊で生まれてくるという両性具有の赤子……だが、それがどうかしたか?」
「非常に美味なのだそうです。グルメと毒舌で有名な、かの山岸女史も、食べるのに夢中で文句ひとついわなかったとか」
「おれにも食わそうと?」
 その口調は支配者の優越を隠してもいない。
 能代は表情を変えぬまま首肯し、先をつづける。
「はい。白鷺亭の女将が、社長のために特別に用意したので是非、食べにいらしてほしいと」
「……今晩の予定はどうなっている?」
「山一専務らと会食予定でしたが、日程をずらしてほしいとの連絡をお預かりしております」
「損失の弁明を考えつかなかったものだから、料理でおれの機嫌を伺おうという心算か」
 室生は鼻先で傲然と吐き捨てる。
 過日の秘書による内部告発未遂問題で、山一啓介は失脚の危機にあった。室生の不興をかった――失脚の理由はそれで十分なのだ。
 室生はしばし思案げな表情をするも、すぐに唇の片端で嘲笑を浮かべる。
「まあいい。やつの企みに乗ってやろう。やつの解雇など、いつでもできるしな」
 いつでも、だれでも意のままにできる――傲岸な主に、能代は頭を下げることで表情を隠した。

 夜の東京。
 色とりどりに弾けるネオンと交錯する喧騒を、立ち並ぶ街頭ヴィジョンが急きたてる。
『HMV訴訟の公判がはじまり、人々の注目を集めています。この事件は治療のために投与された非聖別製剤によってヴァンパイア・ウィルスに感染した血友病患者やその遺族が、都議会と霊薬会社五社に対して損害賠償を……』
『わたしはいま若者に大人気のスポット、多磨霊園にきています。毎週金曜の夜に初代空手十段の大塚博紀が現れて、集まった若者に喝を入れてくれるのだそうです。これは多磨霊園がマグス・ネットワークスと提携して……』
『肉体疲労時にネクタル堯帝液! 天台烏薬、千ミリグラム配合。医薬品です』
『ウロボロスの尾を掴め! 世紀末ジャンボ宝くじ、絶賛発売中』
『今日のトピックスをまとめて、ニュゥゥス・フラァァッシュ!! ――降霊管理法違反で都内の葬儀社社長が逮捕。易占局が三年後の人災確率を発表。東京株価動向指数が十ヶ月ぶりに上昇。電霊公社が電話料金値上げを白紙撤回。隅田川から男性の水死体。エイスエレメント社が次世代OSの召喚に成功……』

 リムジンは夜を知らない雑踏を掻き分け、赤坂へと向かう。その後方を、年代物のカブがつかず離れずで走っている。
 高級外車を尾行するのは、仕事のうちでも簡単な部類にはいる。だから鹿瀬は片手ハンドル、欠伸混じりに運転していた。
「大企業のワンマン社長殿は赤坂でお食事ってか。羨ましいかぎりだね、まったく」
 車道が空いていくにつれて快調にスピードを上げていくリムジンを追って、鹿瀬もアクセルを踏み込んでいく。
 それにしても――と、鹿瀬は思う。天使を最初に食べたやつは、いったいどんな神経の持ち主だったのだろうか? 天使は人間女性の胎から生まれるのだ。処女懐妊で両性具有という異常性の上に生後半日以内で死亡するとはいえ、局部以外は人間の赤子となんら変わらないという。
 如何に美味だといわれても、鹿瀬はとうてい食べる気にならない。
「人間、贅をきわめると堕落するもんなのかね。そうはなりたくないもんだ」
 わずかに開いた窓から流れていく言葉は、高級料亭ともリムジンとも縁のない、しがない何でも屋の負惜しみにしか聞こえなかった。

「本日は白鷺亭に於越しいただき、誠にありがたく存じます。われわれ料理人一同、室生さまのために誠心誠意尽くさせていただく所存です」
「能書きはいい。さっさと料理を持ってこい」
「……かしこまりました」
 料理長は一礼して座敷を下がった。入れ替わるように、女将が燗酒をたずさえて現れる。
 温燗から立ち昇る吟醸香に、室生は鼻をひくつかせた。
「ほお、いい酒だな」
「圧縮醸法ではない、昔ながらの手法でつくった酒でございます」
 さり気ない口調で説明しながら、女将は室生と能代の盃に酒を満たしていく。それが終わると、「失礼いたします」と一礼して下がっていった。室生はそれを見送ることもなく、すでに盃を口に運んでいる。
「美味い。酒も人間も、やはり天然物だな」
「………」
 室生の言葉に、能代の眉がぴくりと動きかける。能面に走った微細な変化を見逃さず、室生は口の端に嘲りを象る。
「能代、おまえも飲め――といっても、おまえにこの味はわからんだろうがな」
「いただきます」
 能代は被りなおした仮面に表情を押し込め、盃を一息に呷る。温められた吟醸香が、味蕾の上で華をを咲かせ、余韻を残して喉の奥へと流れていく。
 室生は嘲笑を湛えたまま、口を開く。
「どうだ、美味いか?」
「はい、美味しいです。……やはり天然物が一番ですね」
「そうか、そうか――くっ、はっ」
 能代の答えに、室生は憚りのない哄笑に喉を震わせる。
「………」
 自分と同じ顔が満足と嘲りに歪むのを、能代は無表情に見つめていた。自分がこの下衆な男の模造品であるのだと思うたびに、錬金合成された血液が逆流するのを感じるのだった。

「冷めないうちにどうぞ」
 女将は椀盛りをふたりの膳に載せると、一礼して襖を閉めていった。
 室生は緊張と奇異の視線を、蓋をされた椀に注ぐ。「天使葛たたき、松茸、針ねぎ、柚子」の椀だと女将は説明していた。
「さて、天使の肉はいかほどの味だろうか……」
 室生は手をのばし、椀の蓋を開けようと――
「……なんだ?」
 襖の向こうからきこえてくる複数の足音に、室生は手を止める。どうやら足音は、ふたりのいる座敷へと近づいてきているようだ。
「おい、静かにさせてこい」
 室生はあごで能代に指示する。
「かしこまりました」
 だが、能代が立ち上がると同時に、襖は廊下側から乱暴に開けられた。
 よれよれのコートを羽織った壮年の小男を先頭に、目つきの鋭いスーツ姿の男達が座敷へ上がりこむ。
「動くな。警視庁だ」
 桜の印章を刻んだ手帳をかざし、コートの刑事が座ったまま椀の中身を口に放り込む室生と立ち上がったままの能代とを交互に睨みつける。それから、その視線は室生へと固定される。
「室生宗達だな。文化財保護法および鳥獣保護法違反の現行犯で逮捕する」
 その宣言を一顧だにせず、室生は口にした天使肉を咀嚼する。なお付け加えるならば、天使を食すことはワシントン条約にも抵触している。キリスト教圏でその罪が発覚しようものなら、異端審問官の即時判決でもって、三分後には断頭台の露になれるだろう。
 だがここは日本。まして、ミカド重工本社のある東京だ。その社長である室生を、官憲の使い走りごときが、どうこうできるはずもない。
「おい、貴様。自分がだれを相手にものをいっているのか、わかっているんだろうな?」
 ごくりと肉を嚥下し、室生は猛禽の笑みを刑事へと向ける。しかし刑事は動じないどころか、
「もちろん、わかっているさ。ミカド重工の“元”代表取締役社長、だろ」
 “元”を強調して、皮肉めいた笑みに唇をゆがめた。
 室生は一笑に伏そうとして……その表情を固まらせる。刑事と相対する視界の隅に、笑みを湛える能代を認めたからだ。
 能代に最も近しい自分でさえ、彼がこれほどあからさまな顔をするのを見たことがなかった。盛大な弧を描く唇は、嘲りと憐憫と嫌悪と――いままで能面の下に隠してきたすべての感情を湛えて笑っていた。
 室生の両眼が険しさに染まっていく。陽炎のごとき怒気をまとって、能代を睨め付ける。
「おい、どういうことだ?」
「どうもこうも……刑事さんの仰るとおりですよ」
 恫喝めいた言葉に答える能代は、もういつもの無表情を取り戻している。だが、瞳には嘲笑を宿したままだ。
「あなたはもう、我が社とは関係のない人間です。社長が現行犯逮捕という不祥事にならなくて、本当によかった。事後処理は山一新社長が上手くやってくれるでしょう」
「やつが社長だと!? 能代……PHS風情が主人を裏切ってただで済むと思うな!」
 自らの複製に怒号を浴びせると、室生は刑事へと詰め寄った。
「おい、おまえ! おれを逮捕するんだったら、やつも同罪だろ。はやく逮捕しろ」
 刑事は降りかかる飛沫に顔をしかめながら手錠を取りだし、失笑する。
「能代さん、でしたっけ? 彼はあんたのPHSだ――つまり、あんたの所有物保管義務違反だ」
「……おれの弁護士を呼べ。やつが来るまで、一言もしゃべらんからな」
 手錠が室生の両手首を拘束した。室生は抵抗しなかったが、奥歯をぎりぎりと軋ませて唸る。それを聞いて、「ああ――」と能代が思いだしたように口を開く。
「そうそう、蛭田顧問弁護士ですが、もう逮捕されている頃でしょうかね?」
 動きを止める室生の背中に、能代は淡々とつづける。
「蛭田弁護士は五千近いペーパーカンパニーを黙認していたそうですよ――ご存知でしたか、社長?」
 天候の話でもするような口調だが、最後の一言にだけ明らかな揶揄が含まれている。
 室生はふり返って能代を睨みつける。悪鬼も逃げださんばかりの形相だ。次いで、鬼の形相から修羅のごとき凄絶な笑みへと転じる。
「……おれは物権を行使するぞ。室生宗達がその名において我が形代に命ず――きさまは今ここで廃棄処分だ!」
 室生の怒号が座敷中に響きわたる。オリジナルたる室生の呪言に、その模造品である能代は逆らえない。呪言が擬似聴覚を経てオートマトン【Automata 錬金脳】――CGU【Central Gematriing Unit 数秘演算法陣】とそこに召喚されたOS【Operating Spirit 制霊】を主とする中枢器官――に認識された瞬間、能代の人格は停止崩壊する。
 ――はずだった。
「なぜだ……なぜ壊れない!?」
 呪言はたしかに、能代の回路中枢に伝わったはずだ。だが能代はよろめきもせず、冷笑を浮かべている。敗者への憐れみを込めて、ゆるりと首を振る。
「あなたの人権は、その手錠をかけられたときから制限されている……もちろん、物権も」
 むしろ淡々とした言葉だったが、それは勝利宣言だった。室生はなおも視線で射殺そうとしたが、もはや能代の冷笑を覆すことはできなかった。
 刑事が、室生の拘束された腕を掴んで急きたてる。
「さあ、行くぞ。特に信仰している宗教がなければ、あとは閻魔さまの沙汰次第だ」
 コートの刑事があごで示せば、それまで黙っていた他の刑事たちがその脇を固めて歩きだす。
 刑事たちに囲まれて遠ざかっていく室生を見送り、能代はひとり座敷にたたずむ。
「くっくっ……」
 ついに堪えきれず、笑い声が漏れだす。初めは唇の隙間から滲むように、徐々に空気を振るわせ始め、
「くっくぁっはははっ、ぁあっははははっ」
 堰を切って溢れだした哄笑は、まるで能代という人格全てを飲み込んだかのようだった。
 笑いつづける能代の顔は、室生となにひとつ変わるところがなかった。

 室生を乗せた護送車を見送ると、加畑は料亭のそばに違法駐車している古惚けたカブへと近づいていく。そのカブに寄りかかっていた鹿瀬は、手を振って加畑を迎えた。
「お疲れ、カバさん」
「その呼び方は止めろといってるだろ」
 ノンキャリア生え抜きの加畑を「カバさん」と呼ぶのは、鹿瀬しかいない。
「小さいことは気にしない。大物逮捕で、オカミから報奨金たんまり貰えるんでしょ」
「不良探偵のタレコミで、ってのが気にくわねえんだよ。……だが、おまえを逮捕できるんだから、そのくらいは我慢してやるか」
 唇を楽しそうにゆがめる加畑。皮肉と疲労を感じさせる、独特の笑い方だ。
「おいおい、カバさん。ちょっと駐禁くらいで逮捕なんて……」
 鹿瀬は片眉を持ちあげて、おどけた顔をする。
「違えよ馬鹿。おまえ、天使肉の密輸に関わってたんだろ? こいつは国際的な重犯罪だぜ」
 束縛のルーンを刻んだ手錠をちらつかせ、勝ち誇る加畑。
 鹿瀬は一拍の間を置いてから、見透かすように目を細め、
「カバさん……奥さんの具合、どうだい?」
 唐突にそう聞いた。
 途端、加畑の表情が目に見えて険しくなる。
「おまえには関係ねえだろ」
「病状がまた進行したんだって? このペースだと、都議会と和解する頃には手の施しようがなくなってるだろうなあ」
「てめえ!」
 加畑は声を荒げて、うそぶく鹿瀬の襟首を掴み上げる。鹿瀬は息苦しさに眉をしかめながらも、加畑の眼光を正面から受け止める。
「HMV【Human Metamorphosis Virus ヒト蛭化ウィルス】の進行を抑えるには、くそ高い聖水が必要なんだろ?」
 わざわざ、あんたにだけ情報を流してやったんだぞ――視線でそう告げる。
 加畑は答えない。眼光は千路に乱れ、固まった表情のなかでそこだけが内心の葛藤を語る。
「……礼はいわねえぞ」
 結局、加畑はそう吐き捨てると、突き放すように鹿瀬を解放した。よろめき、たたらを踏む鹿瀬を尻目に加畑はさっさと踵を返す。
「要らねえよ、そんなもん」
 鹿瀬も吐き捨てると、去っていく後姿を見送ることなくカブに乗り込んだ。

 一ヵ月後、HMV訴訟から人々の関心は遠ざかり、代わってミカド重工が民事再生法を申し入れた話題がメディアを席巻していた。
 あの事件以後、能代と刻銘されたPHSは消息を断っている。所有者をなくした彼がいまだ機能しているのか否か、だれにもわからない。
 そしてPHS【Personalized Homunculus Secretary 自己転写ホムンクルス】を所有することが、ハイデガー・スパイラル【Heidegger spiral 存在乖離に起因する差異の拡大再循環】を発生させて、オリジナルとPHS双方の人格に深刻な影響を及ぼすことが統計上、明らかとなった。この、いわゆるピグマリオン症候群を理由に、都議会がその強制回収を公布したのは今朝方のことである。
 しかし鹿瀬にとってなによりも心残りなことは、まったく別のことだった。
 あの晩、能代をカブで県境まで送り届けた際に、天使がどんな味だったのかを聞かぬままだったことが、今でも悔やまれてならないのだった。



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