『近未来備忘録.』

 日本から元号が消えて十五年。
 昭和天皇の死亡を契機に、国際社会における地位だとか意識だとかの論議が起こった。その結果、日本も先進諸国に倣い、一九八九年一月八日をもって独自の元号を廃止した。

 一九九九年六月に、アメリカはカリフォルニア州でランチョ・セコ原発事故が起き、衆愚やカルトによる世紀末騒動がマスメディアを賑わしたが、それでもアメリカは変わることなく軍事大国でありつづけている。
 日本では同年、圧倒的票数で当選した新都知事がさっそく、公約の東京タワー大改築計画を実行に移した。
 それは、一九九二年に日本の研究チームが発表した衛星軌道建築理論――いわゆるBSB(Basic Study for Babylon)を基礎とした、東京タワーを高さ千メートル超に増築する計画である。
 二〇〇一年に着工された工事は、今年二〇〇四年の五月一日、つまり丁度一ヵ月後に落成予定である。
 失われゆく環境を前に人類が提示した第三の選択――宇宙進出への道。新東京タワー、通称「スパイラル・ラダー」はその記念碑となるはずだ。
 落成式当日は、着工式のとき以上に、世界中の注目が東京に集まることだろう。

 航空宇宙技術と大陸間弾道兵器の発展は、全世紀末には既に、宇宙開発を現実の課題としていた。
 国連による月面基地計画は、各国の思惑が入り混じり、遅々として進んでいない。
 「作業開始はまだ先の話」という知識人連中の見解が、だがしかし、逆説的に宇宙開発が可能性ではなく現実として話し合われていることを示唆している。

 一方で、中東石油パイプラインを巡るイランとトルコの戦争は、各々の背後に控えたOPECと米ロ石油連合による、世界の石油支配権を巡っての代理戦争と化している。
 元をただせば、国境を侵犯した不審車両について、イランがトルコを問責しただけだったのにも関らずだ。
 事ここに至って、国連の調停が無力なことは、湾岸戦争とアフガニスタン戦争で衆目の認めるところだ。

 日本国内に目をやれば、バブル崩壊以降、雇用対策としての公共事業の限界。企業再建の名を借りた首切りの嵐と、失業率に比例して増加する三十〜四十代労働者自殺率の増加。神戸小学生殺害事件に代表される少年事件の急増と問われる法整備の遅れ……。
 このような状況にあって、宇宙開発はもはや浪漫ではない。国際社会における日本の今後を懸けた、国家百年の計であるといっても過言ではあるまい。

 国家百年の計といえば、「日朝協調は国家百年の計だ」と公言した国会議員が、運転中にガードレールを乗り越えて転落死した事件がワイドショーを騒がせている。
 警察が事故死と公表した直後、道路にブレーキ痕がなかったことから、転落時に既に意識がなかった可能性がある事実を隠蔽していたことが発覚。それによって、議員の死に関する陰謀説が信憑性を強めたのだ。
 実際、あり得そうな話である。
 ETCが主要高速道路の4割弱に導入されている今現在でも、右翼の街宣車は相変わらず堂々とただ乗りをしている。
 今日付けで御目見えした新紙幣も、征韓論を唱えてた福沢諭吉が変わらずに最高額紙幣である――そんな国だ。
 親朝鮮を明言した政治家が謀殺されたとしても、誰も驚くまい(征韓論に評価に関して、当時の国際情勢と対外認識を考慮に入れるべきであるとしても)。
 真相は、拉致問題のときと同じく、今後も闇の中だろう。

 閑話休題、人類の進歩は甚だしい。
 地球上、数多ある生命の中でも、人類ほど多種多様な表現・伝達手段を生み出したものはない(それが、人間同士が真に解かり合えないことの証明であるのかもしれないが)。
 アポロ十一号が月に着いた頃、日本ではやっとプッシュホンが発売されたばかりだった。当時の人々は、まさか宇宙旅行の実現よりも早く、電話を持ち歩ける日が来るとは思いもしなかっただろう。
 まして、携帯電話でハイビジョン並みの動画をやり取りできるようになり、それを使った盗撮の現行犯で有名タレントが逮捕される日が来ようとは、夢にも思うまい。
 高度情報化社会の今日、ハッキングの技能があれば、片思いの相手の朝食の献立から、アメリカ大統領と女性秘書の不適切な関係まで、簡単に知ることができてしまう(前者はともかく、後者に関しては異論あるまい)。
 月面基地建設に先立って、月面に月―地球間を電波圏に収めるアンテナを設置する計画を、先だって国連が発表した。基地建設作業における連絡は全て携帯電話で行い、視聴料金を払った人にリアルタイムで作業の動画を配信するのだという。
 宇宙開発熱を煽ることで、地上の戦争調停で立て続けた失敗から目を逸らさせようという国連の客寄せパンダ計画というところだ。
 いや、今ならば客寄せイルカというべきか?

 そう。先月、鶴見川に突如現れたあのイルカだ。近隣の住民にとっては微笑ましい出来事だろうが、環境省には国内外の保護団体から、抗議や恫喝が連日殺到しているのだそうだ。
 鳥獣保護法や水産資源保護法にはイルカに関する規定がなく、また不用意に手を出して怪我をさせるわけにもいかず、「さっさと出て行ってくれ」というのが関係者の本音だろう。
 中には、「これがイルカじゃなくてアザラシだったらよかったのに……」との声もあるという。

 「人類の宇宙進出は、女性の社会進出の結果である」とは、アメリカの女性政府高官の名言だ。
 全世紀末から飛躍的に進歩した人工授精技術は、我々に母性の所在についてを問いかけるという、思わぬ副産物を生み出した。
 もともと不妊治療技術として開発された体外着床技術(SFでいうところの試験管ベイビー技術)は、二〇〇〇年後半に崩壊したネットバブルに替わって、新たなビジネスモデルを生み出した。
 母体での自然妊娠よりも安全かつ胎教等に適した胎児育成施設を提供する事業――エデン・ビジネスである。
 エデン・ビジネスは倫理観との対立を繰り返しながらも、ジェンダー撤廃論を背景にして、急速に国際社会へと浸透していった。
 「体外妊娠で子供を得た母親に母性は生まれるのか?」――というテーマで昨年末、アメリカの社会団体が行った研究発表の要旨をまとめると、「妊娠・母性とは女性の意義と能力を生物的・社会的に家庭内に限定してきたものであり、この両者を排除した場合、社会的能力における性差は認められない」だそうだ。
 いまだ、現場レベルでは諸説紛糾あるが、「これは男の仕事だ」などという台詞が時代遅れなものとなったことは確かである。
 月面基地計画においても、宇宙船外作業員の四割が女性から抜擢されている。
 まさか、高度な能力が要求される船外作業員を、女性の社会進出アピールのためだけで選考したりはするまい。

 スペースシャトルが成層圏を突き抜ける隣で、気象衛星兼軍事衛星が明日の降水確率とミサイル攻撃確率をメーリングリストに配信している。その下では、戦闘機と爆撃機と対空砲火が艶やかな軌跡を描き、命と金とを華やかに燃やし尽くす。
 環境を憂える人間たちが石油を求めて殺し合い、地球脱出を計画する。その足元で一秒毎に森が消え、貧しい国の乳飲み子が餓死し、富める国の労働者が自殺し、少年と老人が殺しあっている。
 東京都心に聳えたバベルの塔は、宇宙への希望か、はたまた地球への絶望か?

 訪れることのなかった、元号のない西暦二〇〇四年。
 世界は変わらず素晴らしい。



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