『くまのレストラン』

 建物よりも自然が多いその土地の、山のふもとの川べりに、一軒の小さなレストランが立っています。
 そのレストランは美味しいことでも評判だけど、くまがシェフだということで有名でした。くまがひとりで切り盛りしている小さなレストランなので、三つしかないテーブルはいつも満席です。
 おや、本日の主菜が運ばれてきたようです。前菜の「レッドチェダーのグリエ、桃のソース添え」は、串焼きにされたチェダーチーズに白桃と白ワイン、フォンをベースにしたソースが添えれた一皿でした。乳製品特有のこってり感を桃のソースが上手に包み込んで、全部食べ終わった頃には、食べ始める前よりもお腹が空いてしかたなくなってしまいます。
 くまの料理長みずから運んできてくれた主菜は、温かな湯気をたてて見るからに美味しそうな鴨料理、「鴨のロースト、青蜜柑と柚子のソース添え」です。皮はさっくり身はしっとりと焼かれた鴨肉を噛みしめるたびに野趣あふれた味わいが広がり、ともすれば油っぽくなってしまう後味を青蜜柑と柚子のほのかな甘みと酸味が洗い流し……、また付け合せのフライドポテトのほっこりした食感と味わいが舌を新鮮にしてくれて、休む間もなく肉を切っては口に入れてしまいます。とにかくもう、満足するほかにない素晴らしい一皿でした。
 このレストランの美味さの秘訣は、ひとつに食材の素晴らしさです。今日のメインディッシュである鴨は、料理長のくまが自分で獲ってきて熟成させていたものです(狩猟免許は持っているとのことです。本人談)。果物や野菜は近所の農家から、牛乳やチーズは牧場から、いちばん良いものを卸してもらっているのです。
 そうした素晴らしい食材を料理するくまの腕前が美味さの秘訣であることは、もちろんです。二種の柑橘を火にかける際、その風味が失われず、かつ、鴨を焼いたときにでた肉汁とフォンとに調和する頃合を見切ることは、口で言うほど簡単ではありません。
 そしてなによりの秘訣は、くまの料理長の料理にかける愛情でしょう。そもそもどうして、くまである料理長がレストランを始めたのかを尋ねると、くまはこう答えました。
「ぼくは昔っから肉とか果物が大好きだったけど、いまのように煮たり焼いたりして食べることはなかったんですよ。でもいつだったかな――ぼくがいつも魚を獲っている川べりに無断で入ってきたやつがいてね、驚かせてやろうとおもってガオーって飛びだしていったんですよ。そしたら、そのひとは全然驚かないで、“まあいいから、食ってみろ”って料理した魚の皿を差しだしてきたんですよ。ぼくはナマの方が美味いに決まってるっておもってたんですけど、なんとなく食べてみたらもう美味しくって美味しくって。“これはどうやって作るんだ?”ってぼくが聞いたら、そのひとは嬉しそうに作り方を教えてくれました。それからも、そのひとがまた旅にでていっちゃうまで、たくさんの料理を教わりました。最初は自分で作った料理を自分で食べて満足していたんですけど、だんだん物足りなくなってきて――ぼくの作った料理をたくさんのひとに食べてほしい、美味しいって顔をしてほしい……っておもうようになって、レストランを開くことにしたんです」
 一皿一皿に込められた「美味しいって顔をしてほしい」という想いが、なによりの調味料となって素晴らしい料理を作りあげているのだとおもいます。なお、旅の料理人がくまに初めて教えたというの料理「岩魚のヴァプール、蜂蜜風味」は、残念ながら時季が過ぎていて、今回は食べることができませんでした。どんな料理かというと、エラと内臓を取り除いた岩魚を遠火で白焼きしてから燻製にかけて、最後に蜂蜜、白ワイン、ヨモギなどの香草各種を刻んで作ったストックを煮立たせ、その蒸気で蒸し焼き(ヴァプール)にするという、なんとも手間の掛かった料理だそうです。茹でた内臓を裏漉ししてからストックで溶いて醤油を一滴加えたソースを添えれば完成――燻してからストックで蒸すことで複雑な味わいを染み込ませた身を、内臓をベースにしたコクのあるソースにまぶして食べると、「初めて出会う味の調和に陶酔せずにはいられないはずです」とくまは話してくれました。筆者もまた来年、岩魚の美味しい時季に食べにこようとおもいます。
 ――おっと、そうこうしているうちにデザートがやってきました。今日の締めくくりは「あけび酒のゼリー」です。大吟醸に漬けたあけびで作ったゼリーは、あけびのとろりとした繊細でほのかな口当たりを、大吟醸のおなじく繊細にして豊かな風味が引き立ててくれます。鼻腔の奥にまで広がる自然の甘さは、コースの締めくくりとして最上の余韻をのこしていってくれます。
 食後のハーブティーを楽しんでいる頃にはもう、あなたもくまのレストランの常連客になっていることでしょう。献立はその日に用意できるもので決まるので、今日と明日でまったく違う料理が食べれるということも当たり前です。筆者も今秋初めにこのレストランを知ったばかりですが、これまで食べてきた料理をいくつかご紹介しましょう。
 「きのこのソテー、すだちソース添え」はバターでさっとソテーした本しめじや舞茸の旨味を、すだちソースの酸味が引き立てた前菜です。「カボチャの冷製テリーヌ」はカボチャの甘みとなめらかな口当たりが食欲をそそります。兎汁を洋風にアレンジしたという「兎の味噌仕立てポトフ」、弱火でじっくり火を通した猪ロース肉にムース仕立てのマロンを添えて頂く「牡丹ロースト、マロンムース添え」。「鹿のソテーと銀杏のリゾット、胡桃ソース添え」は焼いた鹿フィレ肉で銀杏のリゾットを包み、胡桃のソースをかけた一皿です。そして、さつま芋でつくったモンブランに小豆とカラメルのソースを添えた「さつま芋と小豆のモンブラン」――何度食べにきても飽きません。
 そうそう、最後にひとつだけ――くまが冬眠するメカニズムは、秋のうちにたくさん食べて冬眠している間に消費するエネルギーを蓄えることで冬眠中枢が刺激されると言われていますが、食べることよりも食べてもらうことが好きなくまの料理長には冬眠の習性がないそうです。ですが冬場は山も川も眠っていて食材の確保が難しいため、レストランは休業するとのこと――いまの時季を逃すと、来年の春までお預けです。この記事を読んで「くまのレストランに行きたくなった」という方は、どうぞお早めに。



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