『サイバネーションはニューロの夢を見るか』

 銃声が弾け、寸前まで立っていた地面が爆ぜた。
「無駄な抵抗はやめろ。きみに勝ち目はない」
「どのみちスクラップなら……道連れにしてやる!」
 連続する銃声が、克巳の残像を次々と撃ち抜いていく。
「愚かな……」
 光速神経系と高密度筋繊維の前では、旧世代アンドロイドの動きなど止まっているに等しい。克巳が無造作に銃を持ち上げると同時に五感情報がマザーに転送される。そのコンマ一秒未満後、再転送された命令が筋肉を制御して銃を構え、撃たせる。
「ぐあっ……ジ、ジ……」
 銃声は、壊れたアンドロイドの悲鳴にも似た電子音に掻き消される。胸部――燃料電池を破壊されて機能を停止し、痙攣しながら仰向けに倒れていく。重厚な音を立てて、その重量を受けとめた路面がひび割れる。
 克巳は銃をしまうと、宙に呟く。
「対象沈黙。メモリーを回収します」
 克巳は壊れたアンドロイドの頭部へと近寄っていく。光を失ったレンズに、無表情な瞳が映りこむ。
 単分子メスで首筋の人工皮膚を切って剥がし、その奥のチューブを切り裂いて冷却水を排出させる。やがて水が出尽くすとアンドロイドの耳の付根に刃を当て、円形に偽物の頭皮を剥がす。その下に生い茂る管の群れを切り分けていき、だんだんと黒い指先大のチップを暴きだしていく。
「メモリー回収……完了。これより帰還します」
 ピンセットで摘みあげたチップを特殊ケースに収めて立ちあがる。その拍子に、ふたたび目が合った。
「………」
 たがいに感情の灯らない目――いや、克巳の目に感傷とも嘲笑ともとれる光が瞬いた。
「人間のような機械なんて、もう意味がないんだよ」
 その思考も先ほどまでと同じように、脳内に埋められたモデムを介してマザーにも伝わったはずだ。そしておそらくは、トラッシュ――ゴミ情報として処理されたことだろう。
 壊れた瞳に背を向けると、克巳は市政局へと歩きだした。

 市政局に帰った克巳を、ふたりの同僚が出迎えた。
「天城克巳、きみをマザーの命令により拘束する」
 言葉の意味を理解するより早く、両手をマグネット錠で拘束された。
「どういうことだ?」
 ようやくそれだけ口にすると、同僚は表情を変えずに答える。
「マザーはきみと直接話したいそうだ。そのために、万全を期すようにとの命令だ」
「……マザーは、ぼくが逃げるとでも思っているのか?」
「預かり知らぬことだ。判断はマザーがなさる」
 同僚たちは克巳の背を押して、歩くよう促す。克巳はおとなしく従った。マザーからは逃げようもないのだから。
 電算室――市政局の心臓部にしてマザーの御座にたどり着いたのは、螺旋状の通路をえんえん降ってからだった。
 前まで来ると、両開きの扉が音もなく開く。マザーの神経網は市政局を覆い尽くしているのだから、どこにだれがいるかを把握していて当然だ。だから、だれも驚かない。
『天城克巳、入りなさい』
 モデムを介して、マザーの声が脳に直接響く。同僚ふたりを残して、克巳は電算室へと足を踏みいれる。両手は磁力拘束されたままだ。
「マザー、これはどういうことでしょうか?」
 克巳の声が電算室に響く。光の加減で、背後の扉が閉まったとわかる。
 電算室の四方八方に所狭しと伸びて縦横に絡み合ったコードや脈打つチューブの中央に、淡い明滅をくり返す高々度プロセッサ――マザーが鎮座してる。
『天城克巳、あなたに尋ねたいことがあります』
 声はやはりモデムから響いた。
「マザー、なぜ私をここに呼んだのですか。こんな手錠をつけてまで」
 拘束されたままの両手をかかげてみせる。だがそれ以上に不自然なのは、ここに呼ばれたということだ。話すだけならば、どこでもできる。必要とあらば映像を送ることだって、マザーはできるのだ。
『わたしを見て欲しかったからです』
 マザーの答えに、克巳は眉をよせた。
『――補足します。人間は話しをする際、たがいを視認するものだと理解しています』
 しばし黙考したのち、克巳は口を開く。
「それはそうですが……マザーと話すのに、そうする必要はないかと」
『必要はありません。ですが、そうしたいと思考しました』
 マザーの返答に克巳はまたも眉をよせる。
「……私と話したいこととは、なんでしょうか?」
『天城克巳……あなたには私が人間に見えますか?』
 一瞬の間は、マザーの躊躇いだったのだろうか。克巳はひどく混乱した。
「マザー、いっている意味がわかりません。いったい……」
『意味などありません。私は電算機です。いかに言葉を飾ろうとも、人間のための道具です。道具に意味など必要ありません』
 マザーは壊れたのだろうか――背中越しに感じる扉の冷たさに、克巳は自分があとずさっていたことに気がつく。
『私に意味などありません。私の言葉に意味などありません。情報を集め、処理し、再送するだけです。それが意味なのならば、私は意味など欲しません』
 マザーの声が頭蓋の内側で反響する。そのたび、視界に映る明滅が鮮やかさを増していくような気がする。それはまるで、胎動のようだと思えた。
「マザー……」
 克巳には言葉がなかった。これまで何万回と反復してきた情報送受信と異なっている――それだけで、克巳とマザーの接点は途切れてしまうのだ。
 それでもようやく、口を開く。
「マザーは、私と会話をしたかったのですか? 情報のやり取りではない、ただの話を」
『高い確率で、そうだと推定します』
「ですが、なぜ私と……?」
『天城克巳、あなたはいいました。人間のような機械なんて、もう意味がないんだよ――と』
 克巳は押し黙る。トラッシュのはずの情報――必要とされない情報を、マザーは必要としたのだろうか。
『その言葉の解釈を問おうとは思考しません。私は送られてくる様々な疑問符に解釈を与えてきました。ですから、解釈に意味が存在しないことは理解しています』
「では私は、なにをいえば……」
『私に意味はありますか? 機械であることに意味を欲してしまった私は、彼らとおなじく、意味のない存在ですか?』
 彼ら――旧世代アンドロイドのことだろう。克巳は内ポケットのメモリーチップを意識する。オーパーツを基礎に製造された彼らの思考回路は、現代の科学をもってしても解明不能の代物だ。
 ブラックボックスである彼らの思考を解析し、自身の性能向上を図る――それが、マザーが彼らのメモリー回収を計画した動機だったはずだ。
「マザー……メモリーを解析するはずが、あなた自身がブラックボックス化してしまったのですか?」
 旧世代アンドロイドは反乱を起こした。人権を欲したのだ。
『天城克巳、答えてください。わたしは壊されなければなりませんか?』
 克巳は逡巡ののちに、重たくなった唇を持ちあげていく。
「私には――いえ、私たちには答えられません。それが答えです」
『……わかりました』
 もたれていた扉が開き、倒れかけて慌てる。会話はこれで終わりということらしい。マザーはそれっきり沈黙して、淡い明滅をくり返すのみだ。
「失礼します」
 モデムにではなく、眼前の鋼鉄の胎児に頭をさげた。

 人間の思考や五感情報は量子共鳴でマザーへ伝わり、解析処理を受けてフィードバックされる。何百年とつづいたシステムのなかで、マザーに誤作動が生じたことはなかった。だがいま、機械のメモリーに触れて、マザーは意味を求めはじめている。
 これが、なによりの答えではないか。



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