『睡眠病 -天使- 』

 第五次睡眠病が発病したとき、世界人口は第一次睡眠病が発病した十年前と比べて、じつに五割以下にまで減少していた。
 人口大激減の原因はなにも睡眠病のせいばかりではなかったが、睡眠病患者が引き起こす「夢喰い」現象による被害者と、患者自身が法的殺人の犠牲となったことを合計した数が内訳のほとんどを占めていた。睡眠病をして「レミングス現象」と呼ばれた所以もそこにある。
 世界各所で発病者が眠りにつき、「夢喰い」として目を覚ます。夢を食べられた人間はやがて夢を見ることができなくなり、ストレスを浄化できなくなった脳はアルツハイマーや脳卒中を起こして活動を停止する――そんなことは夢喰いを隔離施設に閉じ込めれば解決する問題だというのに、人々はまるで引き寄せられるように夢喰いの傍へといって、死んでいくのだった。
 神経ガスで夢喰いを「公共の福利」のために処理しても、その三日後や、あるいは三年後に次の睡眠病が始まって、同じことをくりかえす。それが四度もつづいて、人類の半分が死に至ったのである。
 そしていま、五度目の睡眠病が世界に蔓延していた。
 最初の睡眠病から十年――この頃になると、人々は大きく二種類に分けることができた。すなわち「睡眠病を受け入れるもの」と「睡眠病を拒絶するもの」である。
 前者の人々は「緩慢な滅びこそが神の意志ならば、それに従うしかないではないか」と諦観し、日々酒を飲んで唄って騒いで詩を詠んで暮らした。後者の人たちは、「夢喰いは殺人者だ。自衛のためにどんな手段をとっても罪にはならない」と高らかに謳った。老若男女、国籍、地位や財産を問わず発病する睡眠病は、世界じゅうのいたるところで悲喜こもごもの愛憎劇を生みだした。
 睡眠病に侵された乳飲み子を洗面器で溺死させようとした父親が母親に刺され、その母親もやがて我が子に夢を食いつくされて衰弱死する。夢喰いとして覚醒した恋人を、請われるままに泣きながら絞殺する男と、植物状態で横たわる私生児。逃げて逃げて逃げたはてに、樹海のなかでただ独りの平穏を手にいれたもの――語りつくせないドラマを繰りかえし、世論は日々、夢喰い完全排斥へと傾いていった。
 第一次睡眠病が騒がれた頃は無抵抗を貫いて、なにも知らぬまま殺されていった夢喰いたちも、自分たちを取り巻く状況の冷酷さには穏やかでいられなかった。好んで争おうとするものはなく、人の近寄らない山中や孤島でひっそり暮らしていければ満足だった夢喰いたちを、未感染者は許さなかった。血眼で探しだしては「自衛」のために夢喰いを殺してまわった。
 こうした状況の最中にも睡眠病は蔓延しつづけ、みずからの発病を悟ったものは社会から姿を消して、永い眠りの床に就く。夢喰いとして覚醒するまえの、無防備に眠っているところを襲われては抵抗できない――命を賭けた“かくれんぼ”だった。幸か不幸か、睡眠病の昏睡から覚醒までの時間はどんどんと短くなっていて、この頃には三日を待たずに夢喰いとして目覚めるようになっていた。
 三日の間、人間に狩られることなく人生最後の眠りから目を覚ました夢喰いたちは、殺されまいとして団結するようになった。この頃の人間と夢喰いの人口比は、睡眠病の蔓延率と、夢を食べられたことによる死傷者数、それに公的組織が夢喰いを殺していく速度などの相関の挙句、おおよそ一対一となっていた。人間側には近代兵器と戦争のノウハウがあり、夢喰い側には信奉者という味方がいて、戦力的にも拮抗しているとの見方が大方の軍事評論家が口にするところだった。
 未感染の人間にも夢喰いの助けをしようとするものが多かった。かつて、ひとりの詩人がそうしたように、「夢喰いとともに暮らして死んでいくのが自然の摂理だ」という理念のもと、夢喰いたちと共同生活を選んで人間と戦うものたちは信奉者と呼ばれた――正確には、彼らが自分たち自身のことをそう呼んでいたのであって、人間たちからは「裏切り者」だとか「コウモリ」だとか呼ばれていた。
 夢喰いたちからしても、信奉者の存在は嬉しいのが半分、困ったのが半分、というのが本音だった。夢喰いたちだけならば、食事も睡眠も要らずに二十四時間動きつづけることができたが、信奉者たちはただの人間――彼らに合わせて行動することは、最大のアドバンテージを放棄するということだった。そしてまた、眠った信奉者たちの夢を食べてしまうことが心苦しかった。夢喰い現象は呼吸や鼓動がそうであるように、止めることのできない生理現象なのだ。
 どのみち一ヶ月と持たずに死んでしまうような連中ならば、置き去りにしてしまえばいい――そう頭では理解していても、なかなか実行に移せなかった。信奉者という存在が人間というカテゴリーのなかにもう戻れない集団であるということも理解していたから、とても置き去りにすることができなかった。
 世界中、どの夢喰いと信奉者のコロニーもこのような状況で、日々を追うごとに死傷者の数を増やしていった。銃弾に倒れた夢喰いと、夢喰いに夢を食いつくされた信奉者を土嚢代わりに、彼らはむなしい抵抗をつづけた。
 ――第五世代の夢喰いもあと数週間のうちに殲滅されるだろうとだれもが予想していたある日、その瞬間は訪れた。
 その日その時刻に、夢喰いたちはひとりの例外もなく白昼夢を見た。真っ白な光に包まれた視界に、有翼の聖人が舞い降りる夢――それが引き金だった。生き残った夢喰いたちは、まるで“おしくらまんじゅう”をするように一点を目掛けて殺到した。ひしめく肉と肉が互いに削り合い、骨の折れる鈍い音と苦痛に泣き喚く声がこだまする――そんな奇妙で凄惨な円形が、世界各所の夢喰いコロニーにつくられた。
 そして、円の中央になって圧死ししていた夢喰いの肉体が消滅した。肉体が内側から爆発するという映像を巻き戻し再生するように、肉も骨も内側に収縮して、ごっそり掻き消えたのだ。
 それはまるで、内側に巣食ったものに身体を食べられているようだった。
 肉体消滅は同心円状に広がっていった。隙間なく寄り集まった夢喰いたちの身体が、つぎつぎと内側に爆ぜていく――そして、“内側に巣食ったものに身体を食べられている”というのが比喩ではなかったことが明らかとなる。
 夢喰いの肉体――大量の夢が蓄積された胚乳を食らって、天使が発芽する。無から有、夢から現、形而上から形而下へと生れ落ちた天使たちは、高らかに産声を唱和させた。鈴の音よりも美しく澄んだ歌声が、世界をつつんだ。
 天使どもは生誕の喜びを歌いおえると、四散さした夢喰いたちの四肢や頭部を骨ごとむさぼり食った。血と脳漿がワインだった。

 聖者の相貌と悪鬼の牙をあわせ持った異形を、人間たちは「天使」と呼んだ。夢喰いを皆殺しにした天使はまさに、神が使わした救済だった。

 ――その牙が人間に向けられるのは、「最初の晩餐」がおわった十七分後のことである。



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