『睡眠病 -夢喰い- 』

 ある時ある日ある瞬間を境に、世界に蔓延した奇病「睡眠病」。それは過剰に発達したネットワークの叛乱だとか、生命としていきすぎた労働に対する警鐘だとか、専門家と評論家の数だけ、あれやこれやと言われた。
 睡眠病の症状は、その病名の示すとおりに眠りつづけることだった。眠りつづけて食べもしないし排泄もしないから、身体じゅうチューブだらけにしないとすぐに死んでしまうような病だった。
 しかし、だんだんとそうではなくなっていった。眠りつづけても死なない患者が現れ、その数は瞬く間に増えていった。彼らは冬眠とか仮死状態とかいうような、新陳代謝を著しく抑えた状態でこんこんと眠りつづけた。
 そして睡眠病はさらなる段階を迎える。
 眠りつづけていた患者が、ある朝いっせいに目を醒ましたのだった。人々は「不治の奇病は飛び去ったのだ」と手を叩いて喜んだのだが、そうではなかった。
 目を醒ました彼らは、寝食を必要としなかった。眠くなることもなければ、食べることもしないのである。食べないのだから、もちろん排泄もしない。
 覚醒者と称された彼らは、忌避と嫌悪の目で迎えられた。最初は目覚めを喜んでいた家族や友人も、食事もとらずに一晩じゅう起きている彼らを不気味におもうようになった。
 この頃はまだ「気味が悪い」というだけだったのだが、やがてひとつの研究結果が公にされた。
 覚醒者は健常者の夢を食べている、というのである。
 夢を食われてしまった人間は、もう二度とその夢を見ることができなくなってしまう。それが嫌な夢や見たくない夢だけに限定されるのならば歓迎されたのかもしれないが、覚醒者のほうで食べる夢を選ぶことはできなかった。
 覚醒者にとって夢を食べることは、「食事」というよりも「呼吸」に近い現象なのだと推測された。
 正確には、夢喰いは夢のパーツを食らう。食べられたパーツは二度と使われなくなる――固定さえた生活習慣の人間が見る夢の内容など、数種のパーツを組み合わせたものにすぎない。
 日々の生活が似たようなことの繰りかえしている人間の夢など、見日替わりランチのようなものなのだ。覚醒者と一週間も過ごせば、たいていの人間は夢を構成するパーツのほとんどを食べられてしまう。そうするともう、眠っても夢を見ることがなくなる。
 夢を憶えていることに意味はなくとも、夢を見ることには深い意味がある。夢を見ることで、起きているときのストレスを解消したり、考えていたことをまとめたりという精神活動が行わるのだ。夢をみることは脳の自浄作用と言ってもいいだろう。
 だから夢を見なくなった脳は、どんどんと汚れていく。汚れが溜まるとやがて、動かなくなってしまう――痴呆やアルツハイマー、脳卒中などが引き起こされるのだ。
 この研究結果が公表されると、覚醒者は夢喰いと呼ばれるようになって、社会から放擲された。各国政府は保護や治療の名のもとに彼らを集め、人里はなれた施設に隔離させた。
 夢を食べることができなくなった彼らがどうしたかというと――どうもしなかった。夢を食べなくても、餓死したり禁断症状に襲われるということはなかった。空腹感を憶えることもない、と取材にきた記者に彼らは語っている。
 夢食いが隔離されているあいだにも、彼らについての議論は白熱した。ある科学者は「物理的エネルギーを必要としないのはおかしい。エントロピーに反する。不自然だ!」と罵り、ある哲学者は「燃料も休息も必要としない夢喰いこそ新時代の労働力だ。我々は働かないでも暮らせるようになる!」と賞賛した。
 「他の生命を摂取せずに、ただ人間のみを害するように再調整された存在――それが夢喰いだ。人類がゆっくりと滅びを迎えられるように用意された救済こそが、夢喰いなのだ」、そう言った詩人は夢喰いたちとともに暮らし、三十五日目に痴呆症を自覚。五十六日目に衰弱死した。食事を取ることを忘れてしまっていたのだ。
 この詩人の体験は、詩人自らが記録していたレコーダーと、施設で一緒に過ごしていた夢喰いたちの証言をまとめた手記として出版され、世界的ベストセラーとなった。詩人の遺族はまたたくまに億万長者となった。詩人の葬儀は盛大に執り行われ、半笑いの遺族と詰めかけた見物客で、急遽、交通整理が行われるほどの盛況振りだった。
 「詩人は死後に名を成すものである」と皮肉ったのは、とある経済学者だった。彼は、詩人とはまったく違う角度から夢喰いたちに興味を持っていた。経済学者が考えたのは、彼の職業を考えればひどく真っ当なこと、「夢喰いを使って金儲けできるか」だった。
 ある哲学者が言っていたように、夢喰いを労働力として利用できれば、大幅なコスト削減を実現できる。なにせ食べないし寝ないのだから、まず深夜帯の仕事をやらせるのに適していると考えた。けれど問題は、彼らが夢を食うということだった。
 夢喰いが夢を食べることできないようにしてしまわなくては、どんな計画も机上の空論だった。
 経済学者は、医学会や科学会を焚きつけて夢喰いを徹底的に調べあげるように仕向けた。その裏で、夢を食べなくなった夢喰いを使ってのビジネス計画を練っていた。
 夢喰いたちの研究は難を極めた。なにせ、研究に根を詰めて仮眠をとろうとすると、夢を食われてしまう。一晩眠るために、いちいち夢喰いたちから十分な距離をとらなければならかった。また、隔離施設での研究を余儀なくされていたことも困難のひとつだった。研究施設に連れていくには、周辺住人をどこかに移動させなければならず、物理的経済的に不可能なことだった。
 隔離施設の近くに資材を持ち込んで、実験しては夜遅くなるまえに離れたところにある宿泊施設まで帰って睡眠をとり、朝にまた施設に赴く――研究員たちはそんな生活を一年近くつづけた。
 一年してようやく、報告書が形になった。その中身は簡潔にして単純にして明快で、経済学者の希望を裏切るものだった。
 解明不可能――それが報告書の内容だった。ある科学者が言っていたように、夢喰いの存在は自然の摂理、物理法則、因果律……あらゆる科学的概念から逸脱した、「不自然」な存在だった。科学は「ありえない」ことを証明することができないのだ。
 かくして、夢喰いに近づくのは、人里にいられなくなったものたちだけになった。これまでならば首を括るか富士の樹海に迷い込むかしていたようなものたちが、夢喰いの住む施設に逃げ込むのだ。
 死を覚悟している彼らは、かつて詩人がそうしたように、夢喰いたちとの生活で人生に幕を下ろしていく。詩人は二ヶ月以上生きたが、多くのものは一ヶ月を待たずに衰弱死していった。多くのことを体験し、夢のパーツを多くもっているものは一ヶ月以上生きた。
 それでも、だれもが最後は夢を見れなくなって死んでいった。
 全世界での夢を食われたことが間接的原因による死者数が、戦争やテロによる死者の四割を越えたとき、各国政府は足並み揃えて対策を講じた。夢喰いの一斉殺戮に踏み切ったのだ。
 施設に押し込められていた夢喰いたちは、特製のシャワー室に連れていかれて、眠るように死んでいった。事前に麻酔を噴霧したのは、せめてもの情けというやつだった。

 かくして世界から夢喰いはいっそうされた。
 この三日後、第二次睡眠病が世界各地で広まっていた。



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