『猫が消えた日』

 猫はどこにいった?

 街中から猫が消えた日、ユーリは風を感じていた。この時季に吹くはずのない、西からの強い風を。
「――西の魔女が倒れたというの?」
 ありえない仮定に、動悸が早まる。かの地に住まう魔女が打ち倒されることがあるなど、だれも考えたことのない馬鹿な話だった。ありえるはずがないのだ、龍を殺して西風の統治者となった彼女が倒されるなど。
「だが、かつて西の龍が生きていた頃も、龍が倒される日がくるなんて考えた者はいなかった」
 そうだ。龍を殺して力を奪った魔女が、また新たな挑戦者に殺されて力を奪われた――ただそれだけのことだ。
 西風が荒れ狂っているのは、新しい王への服従と祝福だった。


 どうして猫は消えたのか?

 天文楽師ユーリは旅立つ。猫がいなくては、天文楽の演奏ができない。せっかく禁足地に踏み込んで捕まえた月見猫のグラースも、どこかに逃げてしまった。追わなくてはならない。
 西に走っていく猫を見た――その言葉を信じて、ユーリは西へと旅立つ。
 でも一体どうして、猫は西に向かったというのだろう? 西の新王を祝うため――ではないだろう。西の龍が討たれたときも、新王たる魔女の元へ猫たちが馳せ参じたという記録はない。それに猫科は東の眷属だ。
 猫たちはなぜ、西へ?


 猫の足跡語

 紙いっぱいに、猫の足跡が踊る。泥塗れの肉球がぺったりべったり――天文楽の楽譜だった。
「猫たちは、ここで歌の練習をしたんだ。この楽譜からして……やっぱり、ぼくの猫たちだ」
 後乗りなボサノバ調のコード進行――こんな歌い方をする猫たちは、そうそういない。それに独唱パートの、ドからド、さらにもうひとつ上のドまでいっきに駆けあがるジェットアッパーな歌い方はグラースにしかできない。
「ん? これは――」
 楽譜の端っこにグラースのサイン――肉球の角度と爪跡の具合で読み解ける――その横に『西の新王へ』と添えられていた。
 猫たちはやはり、西の新王を祝いにいったのだろうか?


 西の新王

 星月夜。西風の伴奏に乗せて、猫たちが歌う。瞳に満月を宿した月見猫グラースが朗々と鳴き、他の猫たちが一拍遅れて唱和する。
 歌声のなかで月が満ち欠け、星が巡る。水星と金星のソプラノ・デュオ、火星のアルト、木星のバリトン。土星と冥星と海星のボイスパーカッションが歌を支える。目くるめく、天文楽の一夜。

 西の新王――猫目石の精を祝福する音楽は、一晩中奏でられた。



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