『音』
カチッ。
音がした。スイッチが予備タンクに切り替わった音だ。
「……ねえ、聞いてるの?」
「ああ、聞いてるよ」
睨みつけるような恭子の語調に、おれは反射的にそう答えた。だが恭子は、これでは納得できないようだ。
「だったら、ちゃんとわたしの目を見てよ」
ヒステリーという単語がおれの脳裏をよぎる。もちろん、口にはださないが。
「顔を見て話すの、苦手なんだ。癖なんだよ。知ってるだろ」
テーブルの上できつく握りしめられていく恭子の手拳を見つめていう。
「知らないわよ……知らないわよ、そんなこと!」
ダンッ。
握り拳を叩きつけられたテーブルが乾いた悲鳴をもらす。
我侭、無知――こんどはそんな言葉が喉もとまで込みあがる。
「でも、いま知っただろ」
「そんなことを言ってるんじゃないわよ! わたしはあなたに、わたしの目を見て話して欲しいっていってるのよ」
チッチッチッチッ……。
タイマーの控えめな自己主張。
「いやだよ」
「え?」
「なんで、おまえにおれの行動まで指図されなくちゃいけないんだよ。そんなに気に食わないのだったら、いますぐ出て行くよ」
カチッカチッカチッカチッ。
「わたし……そんなこと、いってないじゃない。ただ……」
うっと泣き崩れる。
イライライライラ。
いままでは、そうやってすぐ泣くところが可愛らしいと思っていた。でもいまは、イライライライラ。
「もういいよ。これで終わりにしよう」
恭子がはっと顔を上げる。おれと目が合う。そして沈黙。
ビービービービー。
警告音が声高に、予備タンクもじき空になることを知らせてくる。
「じゃあ、もう行くから」
鍵をテーブルに置いて立ちあがる。恭子のわきを振り返らずに通りすぎる。すれ違いざま、立ち止まらずにいう。
「さよなら」
ビィー。
残量ゼロの合図。回路停止。
結局、いったん減りだした恋愛エネルギーが補給されることなどないのだ。停止音だけが空しく響きつづけ……。
「――え?」
ふいに警告音が止んだ。なんだか、背中が熱い。
振り向くと恭子がいた。
「わたしを捨てるなんて、許さないんだから」
包丁をいっそう深く刺しこみながら、おれの耳もとでささやいた。
どうやらこの音、おれの恋愛回路じゃなくて、恭子の堪忍袋の音だったようだ。