『猫と春風』

 その国では、満一歳になって初めての満月を迎えた猫は魔法を使えるようになる。
 むかしむかし、猫の祖先が大地に落ちて帰れなくなった月の女神を国でいちばん高い山まで連れていってあげた。そのお陰で帰れた月の女神からのお礼なんだそうだ。
 猫の魔法はみなそれぞれ違っていて、今宵、早春の月明かりに照らされて魔法を授かった三毛猫ミケは、身体にじんわり染み込んだ月光がどんな魔法なのかを早く試してみたくてうずうずしていた。
「さあ、こちらへおいで、ミケ」
 白髪の眉毛と髭のだらんとした長老さまがミケを魔方陣の内へ呼びよせる。ごく稀に爆発や竜巻を巻き起こすような魔法を授かる猫もいるため、まずはじめに結界の中でどんな魔法なのかを確かめるシキタリなのだ。
 ミケは魔方陣の真ん中に四足を乗せると、目をつぶって髭をにゃかにゃか揺らしはじめた。耳をぴんと立てて、尻尾の先をゆらゆら。じっと動かないのじゃなくて、重い空気と軽い空気が混ざり合って震えるリズムに合わせて毛を揺らす――これが猫流の瞑想だ。
 ミケの足許から風が沸き起こった。ひゅうひゅう唸る風が半円形の結界内をぐるぐる駆けまわる。ミケの毛並みは逆立って、髭も尻尾もびりびり震えていた。かっかと燃える心臓が、ミケを昂揚させていた。
「にゃ、にゃにゃ……にゃおぉん!」
 目の中いっぱいに満月を映して一鳴きすると、ミケは大空に飛び上がった。
 ぱりん、とガラスの割れる音は、結界が壊れた音だ。逆巻く風が溢れ出て、ミケを止めようと駆け寄った長老たちを吹き飛ばす。みんな転ばず、華麗にくるりとまわって着地したけれど、もう遅かった。風に乗ったミケが煌々と笑う満月を追いかけて飛び去っていくのを見送ることしかできなかった。
 それ以来、ミケを見た猫はいない。ただし、春一番が雲間草の白い花を揺らす頃、くしゃみをした猫は顔を洗って大欠伸してから決まってこう呟くのだ。
「ミケは毛繕いもせず飛びまわってやがるにゃ。こんなに毛を飛ばしやがって」
 ――と。



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