『ポークカレー』
司法解剖という言葉を知っているだろうか?
老衰や病死などの自然死ではなく、かつ、犯罪による死亡の疑いのある死体――すなわち「変死体」を解剖して死因の究明に努めることである。
わたしは大学四年のときに、法医学の講義で司法解剖を見学したことがある。
母親と子供を殺害した事件の被害者両名の司法解剖だった。当然、まともな死体ではなかった。
解剖は、外傷のある部分だけに行うわけではない。頭部に傷がなくとも、頭蓋骨をノコギリで切り開いて、脳を取りだして観察するのである。腹の中身についても同様だ。
摘出した臓器は無造作に積まれていく。ひとつ取り出しては検分して戻す、というのではないのだ。
「かつて人間だったもの」という尊厳もへったくれもないが、こうでもしなければ解剖は何時間かかっても終わらないのだそうだ。
また、匂いが気分に与える影響の凄まじさをおもいしらされた。
かりにも医学生だったわたしは、解剖現場のビデオであれば、お菓子をつまみながら見れただろうとおもう。が、嗅覚を麻痺させる薬品の匂いは、これがどうしようもなくリアルであることを実感させた。あぶら汗が止まらなかった。
きわめつけは、解剖の最後だ。
臓器はかたっぱしから取りだされて積み上げられているから、元通りに戻るはずがない。だから、だいたいの位置にとにかく詰めこむのだ。
子供の脳などはとくに柔らかいため、摘出するともう、元の位置には戻らないらしい。執刀医が脳を子供のお腹に押しこんで、頭蓋骨のなかに他の臓器を詰めるのを、わたしは吐き気をこらえて見つめていた。
お腹を閉じられた死体は、外見上はごく普通の死体に見えた。ごく普通の「肉の塊」に見えた。
見学後間もない食堂で、一緒に見学していた女性がポークカレーを頼んだことを憶えている。
わたしといえば、「肉」というものをイメージするだけで気持ち悪くて、この後一週間は野菜と栄養ドリンクで過ごしたものである。
彼女には言わなかったが、女性はやはり血を見慣れているから強いのだろうか、とおもった。
カレーを食べながら彼女は、また見に行きたいと言っていた。
私が解剖を見学したのは、このときが最初で最後である。