『バニラコーヒー』

 彼の淹れるコーヒーは、バニラアイスの味がする。
 わたしがそう言ったら彼は笑って言った。
「そりゃ、バニラビーンズ使ってるからね」
 挽いた豆をドリップするときに砕いたバニラビーンズを一緒にいれると、バニラアイスの味がするコーヒーができるんだって。
「バニラだけで、アイスは入ってないけどね」
 どっちでもいいじゃない。
 わたしの言葉にいちいち訂正を入れてくる癖、あんまり好きじゃない。まあ嫌いでもない。
「本当のコーヒー好きからすれば、邪道なんだろうけどね」
 彼の言葉はいちいち芝居がかってるとおもう。ほら、そうやってマグカップから漂う香りをかいでる仕草なんて、テレビのコマーシャルを見てるみたい。それも商売柄なのかな?
「なに? 顔、なにか付いてる?」
 いいえ、べつに。気にしないでコーヒーをお楽しみくださいな。わたしも、あなたに淹れてもらったコーヒーを飲ませていただきますから。
「それはどうも、ありがとう」
 彼が笑うと、目尻にうっすら皺ができるのを知ってる。本人はまだ気づいてないとおもうけど、彼の若作りな顔のなかで唯一、年を感じさせてくれるところ。
 彼の顔のなかで、わたしがいちばん好きなところ。
「……やっぱりなにか付いてるのか?」
 ついてないよ、なにも。ただ、見つめてみたかっただけ――照れちゃう?
「こら――大人をからかうものじゃないよ」
 ほら、照れた。すぐに照れ笑いしちゃうひと。目尻に皺。年上フェチなわたし。
 ほんのり甘い香りのコーヒーが美味しい夜。
「そういえば……あいつもよく、きみと同じこと言ってたっけ。ぼくなんか見つめてなにが楽しいんだか――やっぱり親子だね、きみたちは」
 目尻の皺がもっと深くなる。彼が彼女のことを思いだすときは、いつもこの顔。わたしの顔を見つめるふりして、わたしのなかの彼女の面影しか見てない顔。
 甘いコーヒーと、甘い空気。でも、わたしは、ひっそりと疎外感。 でも、そんな彼の顔を見てるのは、そんなに嫌いじゃない。目尻の皺を見てると、まあそちらも苦労してるんでしょうね、って気にもなる。だから、黙って彼女の思い出にひたらせてあげる。
 コーヒーを飲み干したマグカップから、残り香がまだ甘く漂ってる。苦くて甘いコーヒーアロマ。

 ねえ、お父さま。気づいてる?
 わたし、あなたのくる日だけ、無香料の化粧品なんですよ。気づいてなんて、ないんでしょうけど。



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